国立大学職員日記
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国立大学職員日記:記事一覧




■はじめに
 あまり行儀の良いこととも思えませんが、いつの世でも、人は他人の懐具合を気に掛けてしまうものです。ましてや、それが自分の支払った税金で給与が支払われる類の業種のものであれば、なおさらでしょう。
 国立大学職員を含め、そのような業種に勤める我々のような人間の給与について、「依然として高い」「かなり低くなっている」「仕事内容に比べれば高い」「激務にも関わらず低い」などなど、インターネット上では様々な意見を目にします。給与の「高い」「低い」は主観的な価値観ですので、このような議論に最終的な答えは無いのだと、個人的には考えています。しかし、このような議論をするにあたって、注意しなければならないことが一点あります。それは、「高い」「低い」という判断の元となる「情報」、つまり議論の対象となるものが、議論をする人間の間で共有されているか否か、ということです。
 前置きが長くなりましたが、今回のエントリーの目的はそんな「年収」に関する議論に対して、一定の資料を提供するものです。具体的には、勤続5年分の給与を、1円単位にいたるまで正確なデータにて公開します。これを公開したからと言って、上で書いたような議論が完全に解決するはずもありませんが、少なくとも「国立大学事務職員」の内の「1名」が、次の示すような給与を受けたことは、紛れも無い事実です。ですから、このデータで持って国立大学事務職員の給与が「高い」のか「低い」のかは決められませんが、「国立大学事務職員は全員年収500万円はもらっている」とか「国立大学事務職員で月の手取りが20万円に到達することなんて無い」といった意見に対しては、このデータは立派な「反証」となるはずです。
 また、これから国立大学事務職員を目指す方々にも、ぜひ参考にしていただきたいと思います。たまに「国立大学事務職員の給与は低いのでしょうか?」といった質問を目にすることがありますが、上にも書いたとおり「高い」「低い」は主観的な判断になるので、答えようがありません。ですので、そのような疑問を持っている方々は次の資料を見て、国立大学事務職員の給与が高いか低いかを、ご自分で判断してください。「少なくともこんなに低い給与があり得るなんて耐えられない」というのであれば他の職を目指されるのも良し、「これくらいの給与を受け取り得るのであれば充分」というのであれば受験勉強を進めていただくのも良し、です。


■基本データ
 給与額を実際に見る前に、この給与を受けた人間(つまり私)の情報について、あらかじめ書いておきます。
 自分は大学卒業と同時に働き始めたので、「勤続1年目から5年目」は年度末年齢で「23歳から27歳」に該当します。「国立大学の文系学部卒業」で普通自動車と中型二輪の免許以外の資格は持っていません。扶養手当は受けておらず、何度か引越しはしましたが通勤手当か住居手当は常に支給されています。時間外手当は9割5分は支給されています。残業時間は平均すると月20時間から30時間の間に収まると思います。
 「独身・賃貸に1人暮らし・男性」です。自動車は保有していませんが、中型のバイクを1台持っています。部屋は都市部のマンションの2DKで、家賃は4万8000円です。


■月例給与部分




■期末・勤勉手当(ボーナス)部分




■総合年収




■おわりに
 結局のところ給与の「高い」「低い」は個人による、といったことを書きましたが、それを踏まえた上で、自分は自分のもらっている給与を「充分すぎる」と感じています。
 勤続1年目はまだ貯蓄もほとんどなく、光熱水費などの出費がきつかったですが、現時点では少なくとも「衣食住」で不便を覚えることは一切ありません。もっとも、これは自分が独身で、また自動車を保有しておらず、休日の昼食以外は全て自炊して平日の昼食は学食を利用するなど、世間一般から見ても割と節約して生活しているせいかも知れません。バイクで旅行する以外に趣味らしい趣味もない気がしますが、書籍に関しては欲しいものがあったら必ず新刊で購入(図書館など、手元に残らない形を取らない)して読み終わっても売らずに保存するので、その部分に関してだけは年間の出費が結構すごいことになります。あとはやたら長い時間散歩したり、このブログの記事を作ったり、購入した小説をこつこつ消費したり、休日は昼寝をしたりと、あまり金の掛からないことをしている時間が多いです。
 人から見ると、自分の生活は無味乾燥と言うか、「何が楽しくて生きているんだ?」と感じられる部分が多い気がします。しかしそれでも、自分は自分の生活と年収に満足し、日々気力を充実させて仕事にあたることが出来ています。最近は人件費やら給与引下げについて暗いニュースが多いですが、とりあえず自分はこうやって感じながら働けているのだから、自分に対し支給されている年間400万円程の給与は一定の成果を与えている、と考えて良いのではないでしょうか。最近は人件費関係で暗いニュースが多いので、少しは肯定的なこともあった方が良いと考え、念のため報告しておきます。




■おまけ

(※注:この章は自分のひどく個人的な価値観やら倫理観を伴いますので、人によっては強い不快感を覚える可能性があります。予めご了承の上、お読みください)

 最近は就職率が低下し、また震災などの不安要素も強いので、前章なようなことを書くと「不謹慎だ」というバッシングもあるかも知れません(あるいはただでさえ税金から給与をもらっている身分なので)。しかし、自分は自分の「生活の快適さ」をもっとアピールしたいと思います。
 働き始めるに際して、どのくらい給与をもらえるか、あるいはそれを受けてどのくらい豊かに暮らせるか、ということについて、不安を覚えない方は少なくないでしょう。その方々に際し自分は、「絶対に大丈夫」とまでは言えないまでも、「最初はすこしきついけど、節約を心掛ければそのうち不自由なく暮らせる生活を享受できるようになる」ということを、この記事を通してお伝えしたいと思います。あるいはこれから国立大学事務職員を目指される社会人の方に対しても、民間ほど高い給与ではないかも知れませんが、すこし我慢すれば充分に快適な暮らしが出来るだけの、具体的にはこれだけの給与を受け取り得るのだということを。またさらに言えば、個人的に気に掛けている就職口が見つからないポスドクの研究者などに対しても、研究者としての道とは全く異なる進路になってしまうけど、研究に関わるという「次善策」として、国立大学の事務職員という全く違う道も用意されており、それは学位を取った者としては少なくともコンビニでアルバイトをするよりかは(コンビニでアルバイトしている方申し訳ありません)いくらか「有意義」な選択肢であるのではないか、ということを。正規職員になりたくて登用試験に挑もうとしている非正規職員に対しては、頑張れば給与はこれくらいはもらえるようになりますよということを、それぞれにお伝えしたいと思います。
 ここ最近、国立大学事務職員を含め、公務員関係に関する採用について明るい知らせというものはほとんど見たことが無いような気がします。優秀な人材登用を職責とする人事院ですら、採用に関する情報はただ事務的なものを通知するに過ぎません。わざわざ派手な広告をしなくても、官僚やら専門職になりたい人間は勝手に応募してくるからそれでも良いのかもしれませんが、自分のような地方のただの事務職員からすると、そんなことを毎年続けていれば組織が抱える問題を解決しきれずに、組織が駄目になってしまう気がしてなりません。もちろん、この様な事情にも背景があると思います。上のように書きましたが、じゃあ人事院が「公務員になったらこんなに高い給与がもらえてこんなに豊かな生活が出来ますよ!」なんてアピールした日には、総裁の首が挿げ変わる可能性すらある気がします。このようなことの背景にあるのは、「自分より幸せに暮らしている人間は許さない」とする、日本社会の強烈な横並び意識があるのでしょう。
 「公務員の給与水準が民間に比べて高いのでこれを押さえる」というのは至極真っ当な考え方です。自分はこの考え方を否定しないどころか強く肯定します。なぜなら、市場原理が働かない公務員の給与は、民間の給与水準に合致するように厳しく管理されるのが原則だからです(もちろん、「民間のどの水準と比較するか」も重要な問題ではありますが)。先ほど自分は自分が受けている国立大学の給与を「充分すぎる」と感じていると書きました。言い換えれば、これは国立大学の給与を「高い」と感じていることにもなります。ですので、少しくらい(ここではこの「少しくらい」を今回の公務員の給与引下げ分くらいと仮定します)なら下げてもらっても大丈夫です。もちろん、自分はお釈迦様や良寛さんじゃないので、給与が下がれば少しは「がっかり」もしますし、あるいは将来を慮って自動車の購入や結婚を差し控えることにもつながるかもしれません。しかしそれでも、最終的に他者に対する意思表示として、自分は「必要なら自分の給与水準は下げてもらっても構わない」と表明します。
 一方で、「他人が幸せに暮らしているからそいつの給与水準を下げて幸福の水準も下げよう」とする考え方を、自分は絶対に肯定しません。倫理的な問題ももちろんありますが、それ以上に、「幸福」という感覚が「個人的な価値観」である以上、この考え方には物理的な際限が無いからです。つまりこの考え方を肯定してしまえば、例え給与が0円になってしまったとしても、誰かが公務員を幸福そうに感じる限り、その給与はさらに減らされるか、他の条件を悪化させることになってしまうからです。
 以上、断片的に書いたことをまとめます。自分が自分の給与水準を公開し、また自分が「快適な生活」を享受できていることもお伝えするのは、「給与の額だけではなく、その生活が快適足り得ることをアピールすること」によって国立大学の組織により優秀な人材を呼び込む(あるいは呼び込むきっかけを作る)ためであり、また同時に「生活が快適であればこそ、仕事に対しても良い結果を生むことが出来るはず」なので「国立大学の職員の生活が快適であることには納税者にもメリットがあるはず」であることを、仮に「快適すぎると怠惰になってしまい、結果として悪い状況を生み出しうる」としても「それでも少なくとも給与の額が下がるという環境の中において、自助努力によって得た生活の快適さは否定されるべきではない」という自分の「個人的な価値観」に乗せて、主張するためです。
 書き終わってみると、最初からこんなこと考えてデータをまとめてた訳じゃないけど、よく考えると「こういうことも考えてたなぁ」と感じるこういう考えは、本当に考えてたと言えるんだろうか、とか考えたりしてしまいます。

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