倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「弱者」の立場で

2019-08-20 | 日記

8/19 Mon.

 

ここのところ「煽(あお)り運転」なる傍若無人なドライバーの所作が悪しき話題になっています。

クルマを運転中、並走する車両や前を行く車両、果ては自分の後につく車両にまでいちゃもんをつけ、運転を妨害するかの行動を取り、ときにクルマを降りてまで相手に迫って ひどいときは車体を傷つけたり暴力にまで及ぶ。

さきには 高速道路のSAでのささいなやり取りを引き金に執着ともいえる追跡行為のうえに高速道路上に強制停車させ、結果 重大事故につながった痛ましいケースもあり、これはクルマ社会の中での 由々しき事態と言えるところです。

 

煽(あお)りではないですが、私も自転車を活用したり いち歩行者として道路を歩くうち、さまざまな扱い?を受けることがあります。

例えば、横断歩道で止まってくれないクルマの多さ。

こちら(歩行者)は、道路の向こう側へ渡ろうと待機するも、多くのクルマは素知らぬカオで通り過ぎます。中には、私(歩行者)の姿を現認して かえって加速して通り過ぎるドライバーも。


あと、歩行者を現認して一方の車両が止まるも、対向車が止まってくれないケースも。これは、一方が止まったことで安心して横断し始めた歩行者が対向車に轢(ひ)かれる「サンキュー事故」の一因ともなり 非常に危険と言われています。


また例えば、左の路側帯が広い道路で右折車がいるとき、追随するクルマが路側帯に大きく進入する形で左側を追い抜くケースも。これは私が歩行中に遭遇したことがあり、接触するのではとの「ヒヤリ」を経験したもので、歩行者にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。

 

・・・。

人はなぜ、ハンドルを握ると「王様(女王様)」になってしまうのでしょうか。

車両という「鉄の鎧(よろい)」を身にまとい、そのときばかりは 自分が絶対的存在になり、自分の運転が全ての基準になってしまうのかもしれません。

自分が転がすクルマが一番。その行く手を遮(さえぎ)る者、自分のペースを乱す者は全て敵!それらは全て排除しなければ気が済まなくなるのでしょうか。


でも 思い起こしてみれば、そんな「王様ドライバー」も ときには歩行者にもなり、自転車にも乗ることもあるでしょう。また免許取りたての頃は、誰しも「ヨチヨチ運転」していたハズです。

そんな「弱者」の立場になれば、自分以外を排除しようとするような運転にならず、逆に他者(他車)に心を配る「思いやり運転」が実践できるのでは。そうすれば、くだんの煽り運転はもとより、いわゆる交通弱者を巻き込む事故の発生も抑止されるのではないかと思うところです。


かくいう私自身、過去に重大な道路交通法違反を犯し現在に至るものですが、この間、自動車運転の必需性や法令遵守の大切さ、そして自分自身が交通弱者になってみて路上に潜む危険などを再認識し、深い反省を抱くと同時に、改めて見えたものが数多くあることを実感したものでした。


それらを通じて、前述の煽り運転などの無下な行為を憂慮すると共に、昨今の社会(運転)状況にかんがみ、せめて私の愚行為を今後に活かすべく、路上における社会安全の向上に向け、償(つぐな)いの心を併せ持ちながら取り組んでゆきたいと思いをいたすところです。