8/21 Wed.
列島には前線が停滞し、この日も降ったり止んだりの雨模様となりました。
数日前の猛暑から比べると、暑さが収まったのはアリガタイところですが、いかんせん うっかりしていると紙(配布物)が濡れてしまうのが困りどころです。
不思議なもので、紙というものは、ピッ!としていると 渡す側も受け取る側も清々とやり取りできるものですが、これが皺(しわ)になっていたり濡れていたりすると、何だかだらしない印象になってしまいます。
したがって こんな陽気の日は、自分の身体はさることながら 相手様にお渡しする紙(配布物)が濡れないよう、身を挺して 紙様?をお守りしながら訪問を行なうところです。
そんな雨模様の中、一軒のお宅のチャイムを鳴らすと、ご夫人と覚しき妙齢の女性が対応してくださいました。
名刺を出し ひと亘りのご口上を申し上げていると、くだんのご夫人は 私の名刺をジーッと見つめ、何やら考え込んでいる風です。
やがて顔を上げ 私をまじまじと見つめてから「あなたが、倉野、さん?」と おもむろに口(くち)を開かれたのでした。
訊けば、こちらのお宅の御主人は 大のスポーツマン、それも大のマレットゴルフ愛好家で、茶臼山マレットゴルフの愛好会に所属し 私のマレットゴルフ大会にも出たことがあり、ご帰宅後にはその度 さかんに私のことを話題にしてくださったことから、このご夫人も印象に残っていたとのことです。
ところが そんな活発な御主人でしたが「実は、2年前に亡くなっちゃったのよ。」とのこと。私は二の句が継げなくなってしまいました。
訊けば、御主人(Kさん)は、もともと遺伝的に癌(ガン)を患っていましたが、それでも治療を続けながら 大好きなマレットゴルフに打ち込まれ、スポーツ(マレット)に親しむことで、一般的なガン患者の方よりも はるかに元気で楽しい毎日を送っておられたそうです。
しかし ある日、主治医のドクターから「Kさん、あなたのガンは徐々にではあるが進行しており、このままの治療に止(とど)めれば余寿命は3年で潰(つい)えてしまいます。この際、手術に耐えられる体力のあるうちに 本格的な手術を行なった方がいいのではありませんか。」との「宣告」を受けるに至ったそうです。
ところが それに対しKさんは、毅然とした表情でこう答えたそうです。
「先生、私の身体(寿命)を心配してくれて本当にありがとうございます。それでも先生、オレ今 本当に充実しているんだ。大好きなマレットゴルフを楽しんで、多くのマレット仲間に恵まれ、家に帰れば女房の手料理は美味(うま)い。
で、これでもし手術に踏み切れば、入院加療で相当の歳月を要するだろうし、オレも歳(当時78才)だから、術後の衰えで マレットなんか出来なくなっちゃうと思うんだよね。
オレの性分からして、手術をしてベッドで寝たまんま 外をながめながら指をくわえているなんて、それこそ耐えられない。だから先生、このまんまの(手術なしの)治療を続けてくれませんか。」
そんなKさんの「答え」をドクターも尊重し 手術は行なわず、投薬を中心にした治療が継続され、Kさんは今までどおりマレットを楽しんで暮らしてゆかれました。
そして、計ったように3年後、Kさんは 家族に看取られつつも旅立ってしまったとのことでした。
「でもね。」とKさん夫人は続けます。
「ガンが進行して いよいよマレットができなくなってきた頃だったかしら。ある朝 私を前に窓の方を見ながら「オレは大好きなマレットを諦(あきら)めることなく続けることができて、それに最後まで多くの仲間に恵まれて日々の生活を謳歌(おうか)することができた。本当にイイ人生だったよ。」と話してくれたの。だから私も「ああ、これでよかったんだ。」と思うことにしたの。」
「これが、延命を選択して手術を受けても、ベッドの上で「ああマレットができなくなった。」と愚痴ったり、やがては要介護になって私に負担をかけるようになる、そんな状態になるのはイヤだったのよ、お父さんは。」
「いつだったか、倉野さん主催のマレット大会で 何だか大きな賞をいただいて帰ってきたときなんか上機嫌で「ああいう(倉野さんの)スポーツ振興のイベントはすごく大事だ。ただマレットをやるだけでなく、大会があるとみんなの励みになって みんな頑張って みんながますます元気になる。ずっと続けてもらいたいもんだ。」と話してたときの笑顔は忘れられないわ。」
「だから、倉野さん。」Kさん夫人は、いつしか目に涙を浮かべながら こうも話してくださいました。
「ウチのお父さんは、ベッドの上で暮らす人生を選ばず「生涯現役」を選んで 限られた人生を終えたけれど、その選択は後悔するものではなかったと思うの。
そんな中での倉野さんの(マレット大会などの)活動は、ウチのお父さんなどの高齢者の大きな励みにもなってくれたの。だから倉野さん、タイヘンだけど頑張って、また(再び)大勢の高齢者が元気になるようなイベントができるようになってちょうだいね。倉野さんが来てくれたことは、墓前にしっかり報告しておくわ。」
Kさん宅の玄関先で、しばし 今は亡きKさんに思いを馳せ、私も 普段は汗を拭くタオルで目頭を押さえたところでした。
「一度だけの人生」と言われます。
その人生を「どれだけ生きるか」ではなく「どのように生きるか」と考え、それを全うしたKさんでした。
そして、そんなKさんの思いを受け止めて協力したご家族、患者の意向を尊重して精一杯に治療を施した医療サイド、さまざまな立場の方々の「理解」があって、Kさんの「イイ人生だった。」の言葉が紡(つむ)ぎ出されたことでしょう。
Kさん宅前のひとときは「人生の機微」を学ぶ機会となり、そのうえで、私が行なってきた活動の復活・継続を促してくださる「静かなる応援のメッセージ」をいただく機会ともなったのでした。