倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

ご厚情を糧に

2019-08-01 | 日記

7/31 Wed.

 

この日 後援会の方々の企画により、女性を中心にした「食事会」が催され、出席させていただきました。

数日前までは、梅雨らしい 冷夏ともいわれる陽気でしたが、月末(つきずえ)を待っていたかのように梅雨が明け、途端に猛暑に見舞われることとなりましたが、そんな中にも拘わらず みなさん会場に足を運んでくださり、感謝に堪えないところでした。

 

 

みなさん 受付を済ませるが否や、私のところへきて「元気だった?」とか「がんばんなさいよ!」などと声をかけてくださり、二度目の感謝の念です。

 

開式の後、Y後援会長のあとを受けてご挨拶の機会をいただき、私の方からも みなさんに改めてお詫びし、そのうえで思いの一端を述べさせていただきました。

 

 

これまでも みなさんには過分なご厚情を寄せてきていただきながら、私の不始末により その「心」に背くことになってしまいました。

そのことは、いくらお詫びしても尽きず、そのまま背中を向けられても仕方のないところ、自分で自分を責めるしかないところです。

それでも、この度 多くのみなさんの声に推されて再起するにあたり、この日ご参加いただいた方々のように、再び私に心を寄せてくださる方々があい寄り激励してくださることは、私にとって これ以上の「力」はないと感じ入るところでした。

 

乾杯の後、お酌に回る中で、参加者の方は「私は、ただ単に「同情」だけでクラちゃんを応援するんじゃないわよ。私は(倉野が)昭和小学校の児童センターの設置のために(当時の鷲沢)市長に直談判してくれたことや、地区の結婚相談日にマメに顔を出してくれたうえで 相談員と連携して「こども未来部」の設置や、その中に「婚活」を盛り込んでくれたことなんかの実績を知ってる。だからクラちゃんには、これからも地域や長野市のために「仕事」をしてもらいたいの。反省を尽くして、がんばってね。」と声をかけてくださいました。

 

また ある方は「クラちゃんには頑張ってもらいたいけど、その頑張りの結果は、自分(倉野)のためだけではなく、地域のためになることなんだから、そこは「みんな(地域・市民)のために頑張る」って自覚して、頑張ってちょうだい。」と激励していただきました。

 

 

この日ご参集していただいたみなさんの声を伺い、地域の方々は、私を再び支援してくださると同時に、今までの実績を踏まえ、反省を重ねたうえで 初心に返って地域貢献してもらいたいという「改めての期待値」のような気持ちを抱いておられることが感じられ、感謝と同時に 改めて身の引き締まる思いがしたところです。

 

私自身、みなさんからお言葉をいただき、三度目の感謝 四度目の感謝を重ねると同時に、これから「生まれ変わった気持ち」で諸事に臨んでゆきたいと、改めて心を新たにしたひとときとなりました。

 

退席の際も「頑張ってね!」と声をかけていただき、それら多くの声に報いるためにも、最後まで頑張ってゆこう!と思い、そのための力強いエネルギーをいただいた、ありがたいひとときだったのでした。

 

 


親切な対応に感謝

2019-08-01 | 日記

事務所のPCが突然インターネットにつながらなくなり、困り果てて NTTの 「113」 に連絡すると、NTT東日本のサービスマンが 「往診」 に来てくれました。

それ以前の電話での 「問診」 により、ルーターと呼ばれる電話とPCを仲立ちする機器の異常があることが類推されることから、そのルーターは交換したのですが、ネットは相変わらずつながりません。

ネットがつながるつながらないに関わらず、今回の修理サービスはここまで、だったのですが、来所されたサービスマンの方は、さらに居残ってくださり、関係者と電話で連絡しながら、どうやらパソコン(ネット)のプロバイダーに問題があることを突き止めてくれ、その相談ダイヤルまでも調べて教えてくれたのでした。

そのおかげさまで、かかるプロバイダーに改めて相談すると、そちらでも親切にサーバーとの接続の初期設定をレクチャーしてくれ、結果、インターネットの再接続が果たせたのでした。

 

この手のトラブルは、専門知識が無ければどうすることもできないとことろでしたが、ご関係者の 「専門知識リレー」 のおかげでこと無きを得ることができ、ひと安心でした。

 

ネット復帰後、自分の領分を越えて対応してくださったサービスマンの所属会社に電話を入れ、ネット復旧の報告と、親切な対応に御礼の伝言をお願いすると、電話に出た 同僚と覚しき男性社員が 「本人に伝えときます!」 と明るい声で応じてくれました。

 

私も私のジャンルで困った方に遭遇したときは、でき得る限り親切に応じてあげたい、そのうえで 「喜びの連鎖」 を広げてゆきたい、としみじみ思った、トラブルに見舞われたひとときでした。