倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

真の「全員野球」

2019-08-24 | 日記

8/23 Fri.

 

熱戦に次ぐ熱戦に沸いた「高校野球 夏の甲子園大会」が感動のうちに幕を閉じました。

全国3,730校の頂点には、大阪代表の履正社高校が 強豪ながら初優勝という形で輝き、その汗が滲(にじ)んだユニフォームには 全ての球児の熱い思いが込めらている、を感じ取ったところです。

 

 

わが長野県代表の飯山高校も、初舞台で堂々と緒(初)戦に臨み、敗れてもなお大きな感動を私たちに与えてくれたものでした。

 

 

 

 

ところで 今大会においては、投手の「肩」をどう守るか、が話題にもなりましたね。

今までの高校野球といえば、たった一人のエースがマウンドで獅子奮迅の熱投、試合後の記事には「150球完投!」などの文字が躍り 厳しい試合を一人で投げ抜く姿が「野球の美学」として称えられてきました。

しかし ここへきて、一人偏重の登板が果たしてイイものか、もっと言えば「勝利至上主義」の下(もと)で、将来有望な選手を(肩を)潰してもイイものか、という議論が起こってきました。

それに応じるかのように 東北地方の高校では、監督の判断で プロ注目のエースを甲子園の懸かった決勝戦でありながら登板を回避し敗戦、大きな物議を醸すこととなりました。

 

 

そんな中、著名なスポーツライター氏原英明さんが、今大会のベスト4に進んだ 中京学院大学中京高校の投手起用について注目し「革命」という言葉を贈っている記事を目にし、私も大いに賛同したところです。

 

それは、複数 それも4人以上の「投げられる選手」をベンチに入れ、試合の流れを継投で変える、という発想の下で采配を振るい結果を出し、それを全国に見せつけ「甲子園野球」に大きなメッセージを与えたことにあります。

今大会の中京学院大中京は、エースが全試合に先発しましたが、劣勢を余儀なくされる苦しい試合もありました。だが 監督は、その劣勢の状況の中で「継投策」で流れを変えたのでした。

 

 

緒戦の北照高戦では、6回2死から先制点を許したところで、長身の右腕投手にスイッチ。その投手は2回を1失点で抑え、逆転した後はクローザー役の投手につなぎ 後を零封しました。

 

 

次戦の東海大相模高戦では 勝ち越しを許した6回途中から右サイドスローの投手を投入、追加点を許さず、その抑えが後の逆転を呼び みごと優勝候補の一角を崩したのでした。

 

 

監督は「短期決戦ではワンポイントなどの継投が必要になってきます。相手の打線のタイプと流れと得点差、そういうことをいろいろ考えて継投しています。」とのこと、今までの「エースはオマエだ。腕がちぎれるまで根性で投げ抜け!」みたいな〝熱血監督〟とはまるで違う采配が見て取れます。

 

そしてライター氏は「この高校が素晴らしいのは「2番手以下の投手が、出番を待っている」ことだ。重要なのは、控え投手の意識の高さだ。」と述べています。

安定感のあるエースがチームにいる場合、控え投手は あくまで「予備」。エースの調子が良ければ自分の出番はないと 自ら決め込んでしまうケースがほとんどですが、中京学院大中京高の場合は、控え投手陣は 自分の出番は必ずあると自覚し、それに備える高い意識を持っていました。

3回戦と準決勝の2試合に登板した「控え投手」は「コーチから出番があると言われているので、常に行ける準備はしています。ただ単に肩を温めているのではなく、出番があると思って準備をしているので、気持ちは違うと思います。自分が登板したときに抑えるかどうかが流れに影響するので、後悔しないようにと思っています。」と堂々と答えていたとのこと、この言葉が控えでありながら控えに終わらない 自覚の高さを表しています。

 

ライター氏は最後に「球数制限議論が見落としているもの」として こう指摘しています。

「昨今は投手の登板過多に関する問題で球数制限が話題になることも増えたが「エースが燃え尽きるまで投げさせたい」という意見もまだまだ根強い。その陰で、同じように3年間練習してきた2番手以下の投手に目が向くことは少ない。そんな中 中京学院大学中京高校の投手起用は、高校野球における控え投手の価値を上げたといえる

「球数制限」には、一人の投手の負担を軽減すると同時に、2番手以下の投手に登板機会が生まれる利点がある。「控え」ではなく「戦力」として扱われることによって、彼らは持てる力を存分に発揮するようになるのだ。」と結んでいました。

 

 

 

「全員野球」ということばがあります。

これは、レギュラーも、ベンチも、そしてスタンドの応援団も、みんなが一体となって勝利をめざすものですが、もし叶うのであれば 選手の育成の段階で指導者が目を配り、エース以外にも「投げられる選手」を発掘し さらに登板の機会を与える。そのことで 選手の新たな才能が開花できたとなれば、エースの負担軽減に併せて、他の選手の「新たな道」をつくる成果も期待できるのではないでしょうか。

 

そして私は この考えを、少年野球の指導者にこそ持ってほしいと願うところです。

「肩」の未熟な少年野球選手についても、球数を70球に止めるなどの適切な球数制限がかかる傾向にあるところですが、そのうえで指導者各位におかれては、エース偏重の考えではなく、可能な限り多くのチビッコ選手の「投げられる可能性」を模索したうえで、多くの子供らにマウンドに上がる機会を設けていただければと思います。

グローブを持つ全てのチビッコ選手を「未完の大器」と捉え、チャンスを与えてみる。そのことで その子の新たな才能が開花したとなれば、また そうではなくても、それぞれの「野球人生」の中での貴重な経験になれば、それは非常に有意義ではないかと思うところです。

 

 

中京学院大学中京高校監督の新たな投手起用法は、現下のアマチュア野球界に新風を呼び起こしたと申せます。

この「成果」を契機に、多くの選手の才能の開花、多くの選手の「出番」の創出に好影響が及ぶことを期待して止まないところです。