倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「自分のこと」として考えるべきこと

2019-08-07 | 日記

8/6 Tue.

 

8月6日は、米軍による広島市へ原爆が投下されたことを記する「原爆の日」です。

今回で74回目を迎える平和記念式典には、被爆者や遺族をはじめ5万人にのぼる市民が会場の平和記念公園を訪れ、原爆投下時刻の8時15分に黙祷し、平和への祈りを捧げられました。会場には 広島市長や安倍首相、また89ケ国の駐日大使が参列したことが報じられていました。

式典の中で広島市長は「平和宣言」の中で、核兵器廃絶への動きの停滞を懸念した上で、立場や主張の違いを乗り越え「寛容」の心を持つよう呼びかけ、日本政府には「被爆者の思い」として、国連で2017年に成立した核兵器禁止条約への署名・批准を求めましたが、安倍晋三首相のあいさつには条約に言及することはなかったそうです。

この日、過去1年に死亡が確認された5,068人の名前を記した死没者名簿が原爆慰霊碑に納められ、名簿の人数は計31万9,186人となったそうです。

 

第二次世界大戦の終わりを決定づけた広島・長崎への原爆投下から七十有余年が経過し、原爆による戦争被害者=原爆の恐ろしさを知る方々 は当然ながら減る一方となっており、そのままに任せれば 否が応でも「風化」は避けられない状況です。

一方 世界的にみれば、去る2日には 核保有の両雄ともいえるアメリカ・ロシア両国による「中距離核戦力(INF)全廃条約が失効し、また隣国北朝鮮では非核化交渉が遅々とする中で米朝の「政治的駆け引き」にされるなど、核を巡る国際情勢は緊張が高まっています。

このときこそ、非常に悲しいけれど多くの原爆被害者を出した唯一の被爆国である日本国民とすれば、核兵器がもたらす危険さ・悲惨さを伝承し、私たち一人ひとりが平和への思いを強くもって、ひいては世界の為政者に「被爆者の声」が伝わるよう努めるべきと強く認識するところです。

 

しかしながら、でありますが、この日 私の知る限りの政治家(国政・地方政治問わず)で、かかる原爆の日に関する発信をしている方々はほとんど居らず・・・残念というか「そんなものか」と思わされたところです。

政治に関わる者の中でも「風化」が進んでいるのでは、と懸念するのは、私だけではないでしょう。

 

核に関する諸課題は、まさに一触即発、決して他人事ではありません。ましてや被爆体験のある日本人は「自分のこと」として考えるべきでしょう。

 

 

 

 

この日、町の住民自治協議会「環境部会」の会議ならびに「暑気払い」が行なわれ、末席に座させていただきました。

交流の中で話題となったのが、この頃の猛暑に伴う「信州の陽気の変化」でした。

これまで「信州」といえば「昼間は暑いが、日が暮れれば涼しくなる」との、朝晩の気温の差が定石でした。

日中は都会並みに暑いけれど、ひとたび夜を迎えれば涼風がそよぐ。これが「信州の過ごしやすさ」であったハズです。

ところが、ここのところ 陽がとっぷり暮れても一向に気温は下がらず・・・いわゆる熱帯夜の状態が続いてしまっています。出席者の中にも「今夏はたまらずクーラーをつけて寝た」という方が多くおられ「過ごしやすい信州の(夜の)陽気」は一体どこへいっちゃったんだ?」とぼやく方も。

ところで、この「信州の陽気の変化」は、単に寝苦しいだけではなく、主要産業である農業など 自然界にも影響を及ぼすことが懸念されています。

この「気温の日較差」は、果樹や紅葉の「色づき」また果樹については「糖度」に影響を及ぼします。ピークを迎えようとする桃や、いずれたわわに実るリンゴなどについては、本来は 日中暑く夜涼しい環境が望ましいのに、現状の昼も夜も暑い気候は 決して良いとは言えません。

 

こんな気候を招いたのは、やはり「地球温暖化」の影響が否めないところでしょう。

この日の環境部会の席で、暑い夜を共々に実感する中、地球温暖化の進行を「自分のこと」と捉えつつ、その(温暖化)抑止のために私たちができることを改めて考え、少しづつでも行動に移してゆくべきことを、共々に再認識したところです。