11/24
京に伝わる魔界伝説
人喰い地蔵
京の都には「人喰い地蔵 」と呼ばれる、
物騒な名前の地蔵尊がいます。
本当の名は「 崇徳地蔵 」といい、
何時の頃からからか「すとくいんじぞう」が訛って、
ひと喰い地蔵と言うようになったようです。
怨霊となった崇徳院の話も加味されてのことかもしれない。
しかし、
土地の人々は気味悪がるどころか、
人喰い地蔵に花を手向けます。
その地蔵尊の顔立ちはとても穏やかで、
無病息災の御利益があるといわれています。
もとは京大病院のところに祀られていたそうですが、
現在は、
山伏の総本山である聖護院の唐頭、
積善院準提堂の祠に祀られています。
崇徳院地蔵(人食い地蔵)は
積善院準提堂 京都市左京区聖護院にあり
聖護院門跡の東隣に、
聖護院の塔頭寺院で鎌倉時代の開創と伝える積善院準提堂がある。
明治の初めにふたつに寺院が合併したそうだが、
本尊準提観音像と不動明王像が祀られている。
本堂の裏手に崇徳院地蔵の祠がある。
保元の乱に敗れ、
弟の後白河上皇や平清盛によって讃岐に流された崇徳上皇は、
その地で都を呪いつつ没した。
その頃都では、
大火が続き疫病がはやり、清盛も高熱の病で死んだ。
上皇の崇りと恐れた都人が慰霊のために地蔵尊を造った。
しかし、崇徳院の呪いを恐れるあまり、
「すとくいん」が、
いつしか「ひとくいん」となり、
さらには「ひとくい」と呼ばれるようになってしまった。
「崇徳院地蔵」が「人食い地蔵」と呼ばれたそうです。
この地蔵は、もともと「聖護院の森」におられた。
昔の聖護院の森は広く、
現在の聖護院門跡から西に鴨川辺りまであったという。
その森に、明治になって京都大学付属病院が建設され、
地蔵はここ積善院準提堂に移された。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。
↓ ↓ ↓
只今 at home Web http://kyoto-estate.com/より、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!!
東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう !! 日本
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/311/story/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます