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葵祭の由来
毎年5月15日、王朝絵巻のような風情豊かに、
威儀を正した勅使、斉王代らの行列が
新緑の市中を練り歩く初夏の年中行事、
葵祭りは上賀茂神社・下鴨神社のの祭礼です。
正式には賀茂祭りというが、
勅使以下すべての参加者が葵桂の葉を身に付け、
社殿にも飾ることから、
「 葵祭り 」の通称で親しまれている。
もともとは上賀茂神社の御阿礼祭、
下鴨神社の御陰祭という神の誕生再現する神事が中心でしたが、
平安時代になって賀茂神社が王城鎮護の神となると、
大同元年( 806 )には、官祭として勅使が派遣され、
弘仁元年( 810 )には斎院が置かれて天皇の皇女が斎王で祭りに参加、
そして葵祭りという場合は、
勅使と斎王の賀茂社参向と社頭神事を指すようになったと。
とくに王朝文学や貴族の日記では、
前日の斎王の禊や当日の勅使参向の行列の華やかな様を、
途中の一条大路で桟敷や車の中から見物することが中心に書かれています。
有名な『 源氏物語 』の 六条御息所 と
葵の上 の車争いは、
この賀茂祭の斎王の禊ぎの行列を見る場所を争って起こった事件です。
今回はここまで・・

続きは次回に・・

葵祭の由来

毎年5月15日、王朝絵巻のような風情豊かに、
威儀を正した勅使、斉王代らの行列が
新緑の市中を練り歩く初夏の年中行事、
葵祭りは上賀茂神社・下鴨神社のの祭礼です。
正式には賀茂祭りというが、
勅使以下すべての参加者が葵桂の葉を身に付け、
社殿にも飾ることから、
「 葵祭り 」の通称で親しまれている。
もともとは上賀茂神社の御阿礼祭、
下鴨神社の御陰祭という神の誕生再現する神事が中心でしたが、
平安時代になって賀茂神社が王城鎮護の神となると、
大同元年( 806 )には、官祭として勅使が派遣され、
弘仁元年( 810 )には斎院が置かれて天皇の皇女が斎王で祭りに参加、
そして葵祭りという場合は、
勅使と斎王の賀茂社参向と社頭神事を指すようになったと。
とくに王朝文学や貴族の日記では、
前日の斎王の禊や当日の勅使参向の行列の華やかな様を、
途中の一条大路で桟敷や車の中から見物することが中心に書かれています。
有名な『 源氏物語 』の 六条御息所 と
葵の上 の車争いは、
この賀茂祭の斎王の禊ぎの行列を見る場所を争って起こった事件です。
今回はここまで・・



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