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北野天満宮は

2011年06月26日 | ボランティア
北野天満宮は、

菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀
(最も中心になるものとして尊びまつる)で、
親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。

平安時代中頃の天暦元年(947)に、
京都に住んでいた多治比文子や
近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、
北野朝日寺の僧最珍らが、
当所に神殿を建て、
菅公をおまつりしたのが始まりとされます。

その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、
永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、
国家の平安が祈念されました。

この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、
寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、
代々皇室のご崇敬をうけ、
国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。


江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、
その教室には必ず天神さまがおまつりされ、
あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、
学業成就や武芸上達が祈られてきました。

現在、全国各地には菅公をおまつりした神社が、
およそ一万二千社とも言われ、
その多くは当宮から御霊分けをした神社であります。

菅公は世々に「文道の大祖・風月の本主」と仰ぎ慕われ、
学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく
人々の生活のなかで受け継がれています。

菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、
情緒豊かな和歌を詠み、
格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。

学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、
異例の出世を重ねられた菅公は、
昌泰二年(899)右大臣の要職に任命され、
左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。

ところが、突如藤原氏の策謀により、
昌泰四年(901)大宰権帥に左遷され、
そのわずか2年後、
大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。

菅公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、
やがては天神さまと崇められ、
現代でも盛んな信仰へと展開します。

菅公の精神は「和魂漢才」の四文字に集約されるように、

自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、

他国の文化も受けいれる寛容さが特徴です。

菅公が生涯一貫された「誠の心」は、

今も日本人の心に生きつづけています。

と・社殿に説明書きがありました。よ



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