オヤジのひとり言

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ことわりや、日の本ならば、照りもせめ、さりとてはまた、天が下とは・小野小町

2011年06月20日 | オヤジのひとり言
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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その七拾四

東寺 の 空海 と 西寺 の 守敏 が法力を争った天長の祈雨の伝説などは、

後の祈雨・止雨の修法の場となった 神泉苑 の姿を示している。

神泉苑 における密教僧の祈雨修法が盛んに行なわれるようになり、

鎌倉時代に至るまで20名以上の僧侶が名を留めている。

このうち、
小野曼荼羅寺 ( 現在の山科随身院 ) の 仁海僧法 は、

生涯にわたって9回あまりも 神泉苑 において修法を行い、

雨僧正 とも呼ばれたともいう。

仁海 と同様 小野一族の 小野小町も、

「 ことわりや、日の本ならば、照りもせめ、さりとてはまた、天が下とは 」

と 神泉苑 にて和歌を詠じたと伝えられるが、


神泉苑 の池には龍が棲んでいると信じられ

降雨を支配していると信じられていたようです。


現在でも、

境内の池 ( 法成就池 ) に善女竜王を祀り、

社から石橋を渡って御池通り側には立派な石鳥居が構えられています。

かといって神社ではなく、

東寺末の 真言宗寺院 なのです。

慶長7年(1602)、徳川家康によって 二条城 が築城されるが、

その節に 神泉苑 の園池の水を壕に取り入れると共に、

土地の一部が 二条城 に組み込まれることとなった。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

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