オヤジのひとり言

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六波羅探題とは?

2011年10月03日 | オヤジのひとり言

10/3 

あーあ・崖っぷちの虎は・首の皮一枚で

Aクラスに望みをつないでいる・さむーい風が吹いている。

ここらで「猛虎??」の意地を見せてほしいものですなぁ??

 

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その壱百九拾四

 

 

鎌倉幕府の出張所の- 六波羅探題 と鴨川の東のこの地は

 

 鎌倉時代になると、

 

六波羅の平家大邸宅の跡地は、

 

平家の没後 官領として源頼朝が接収することになりました。

 

 

頼朝は、そこに 六波羅亭 を建造する。

 

 源 頼朝の六波羅亭は、「 池殿 」と呼ばれた 頼盛 邸跡 に造られた。

 

頼朝が鎌倉から上洛の時の宿舎になっただけではなく、

 

通常は留守役としての京都守護がここに置かれていた、

 

しかしこの頼 朝邸も、

 

建久二年 ( 1203 ) には火災によって焼失し、

 

以降 頼朝邸が再建されることは無かった。

 

 

その後、承久の乱後、

 

幕府によって京都の監視、

 

西国の管轄が行なわれるようになると、

 

六波羅は再び政治の拠点となるのです。

 

承久三年 ( 1221 )、幕府は現在の五条通りの六条坊門小路を境に、

 

南北2つの政庁が置かれて、

 

それぞれ 六波羅北方六波羅南方 呼ばれた。

 

これが六波羅探題の設置のはじまりです。

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

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