今日は細野高原の防火帯づくりに行ってきました。
とは言っても、集合場所から作業をする町民の人たちを所定の場所まで車で運んだ後は、現地本部で待機していただけでした。それというのも、風がほとんどなく、また、夜露のせいであまり刈り倒してあった枯れ草が燃えなかったからです。
待機している間、地元の区長さんが昔の話をしてくれました。
昔、細野高原はもっと広い採草場だったそうです。農業が盛んでそれだけ需要があったからだそうですが、早朝3時頃に家を出て、徒歩で細野高原へ行き草を刈ったそうです。もちろん今のような草刈機は無くすべて鎌で刈っていたのです。
また、山の影がどこまで来た頃に細野高原を出れば暗くなった頃には家に着けることや、山焼きのときは何が起るかわからないから、多めに弁当を持って一度に全部食べないことをお父さんからよく言われたそうです。
しかし、昔からの細野高原を知り尽くした人たちが農業の衰退とともにどんどん減っているので、区長さんはこのままだと将来、山焼きもできなくなるとも言っていました。山焼きは一歩間違えば人命にかかわるほどの危険な作業なので経験ある人の存在が欠かせないのです。
もしここに風力発電所が完成したら、そのことが山焼きの継続にプラスになるような方策が考えられるといいのですが。
ともかく、今日の作業に参加した皆さん、お疲れ様でした。
とは言っても、集合場所から作業をする町民の人たちを所定の場所まで車で運んだ後は、現地本部で待機していただけでした。それというのも、風がほとんどなく、また、夜露のせいであまり刈り倒してあった枯れ草が燃えなかったからです。
待機している間、地元の区長さんが昔の話をしてくれました。
昔、細野高原はもっと広い採草場だったそうです。農業が盛んでそれだけ需要があったからだそうですが、早朝3時頃に家を出て、徒歩で細野高原へ行き草を刈ったそうです。もちろん今のような草刈機は無くすべて鎌で刈っていたのです。
また、山の影がどこまで来た頃に細野高原を出れば暗くなった頃には家に着けることや、山焼きのときは何が起るかわからないから、多めに弁当を持って一度に全部食べないことをお父さんからよく言われたそうです。
しかし、昔からの細野高原を知り尽くした人たちが農業の衰退とともにどんどん減っているので、区長さんはこのままだと将来、山焼きもできなくなるとも言っていました。山焼きは一歩間違えば人命にかかわるほどの危険な作業なので経験ある人の存在が欠かせないのです。
もしここに風力発電所が完成したら、そのことが山焼きの継続にプラスになるような方策が考えられるといいのですが。
ともかく、今日の作業に参加した皆さん、お疲れ様でした。