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My Home Town(旧風力発電と子育て日記)

観光と風力発電と子育ての日記です。

当日記の内容については風車ファン以外の無断での転載転用を固くお断りします。

風力発電に携わって(その18)

2010-07-15 20:43:50 | 風力発電回顧日記
風の乱れで度々とまる風車の子守が始まって3カ月が経つと
オイル交換と初期点検が必要になるということだったので
風車メーカーに見積を依頼した。もちろん正式に町長名の
公文書で。

ところが、期限を過ぎても見積が提出されない。しばらく待っ
たが、もしや郵便事故?かもと思い、三菱重工中部支社に電
話をかけてみました。すると「どうもすみません」との返事。
「見積依頼は届いていますか?」と聞くと「はい・・・」。

要するに見積期限が過ぎているのを承知の上で放置していた
ということらしい。この時、中部支社にしてみれば風力発電
はおまけの仕事だということに気が付きました。

また、風車が度々、風の乱れで停止しているのに長崎造船所
からも特に何の連絡もありません。遠隔監視装置で風車の状況
はわかっているはずなのになぜだろう?という不信感が募り
ます。

見積依頼と風車の停止を放置されていることをその後、ある
ホームページの掲示板に何の気なしに書き込んだのですが、そ
こから思わぬ展開がありました。

風力発電に携わって(その17)

2010-07-04 20:29:12 | 風力発電回顧日記
冬から春にかけて主に強い南西の風が吹く度に風車は瞬時の
過発電などで度々停止するので、その都度、風車へ再起動に
通う日々が続いた。

冬の夜や早朝に風速20m/s以上の風が吹く標高430メートルの
山の上に一人で行くのは結構辛かったのですが、なぜ続いての
かと言えば、
①若かった(笑) 当時は今より単純に7歳若かった。40歳過
ぎると結構辛い。
②それが仕事だから 風車についてど素人で、今もそうだけど
ナセルに上って風車の修理ができるわけでもない。できる範囲
で最低限の仕事だと思っていた。→まあ、自己満足の一種。

それから、もう一つ。もしこの風車が自分のお金で建てた自分
の事業(商売)だったらどうだろう?かと考えた。そしたら
誰だって、風が吹いているのに風車を止めておくなんて我慢で
きないですよね?実際は自分の風車ではないので、これも自己
満足の一種ですが。

で、ここで言いたいことが一つ。風車メーカーで働くすべての
人がこういうユーザーの気持ちを本当にわかっているのか?と
いうことです。風が良く吹く場所に建っている風車が故障と高
額な修繕とを繰り返し結果として事業として成立しないような
事態になったとしたら我慢できます?自分だったら我慢できな
いですね。だって自社の風車がユーザーの役に立たない、でき
そこないだって世間から評価されるっていうことですから。

もちろん、ろくに風が吹かない場所に風車を建てた場合は自業
自得ですから、一義的には風車メーカーの責任ではありません。
まあ、でも過去には「こんな地形の場所には我が社の風車は売
れません」と商売を断っていた立派なメーカーもあったようで
す。それがプロの矜持というものなのかもしれません。

風力発電に携わって(その16)

2010-06-26 16:38:21 | 風力発電回顧日記
平成15年12月25日に町営風車の竣工式を終えた夜、
風車が故障停止したとの連絡をもらった。

風車が故障停止すると、自動的に役場に電話とFAXで連絡が
来ます。さらに勤務時間外だと宿日直者が風車の担当者に電話で
連絡してくれます。

自分は風車が完成して、月次点検と年2回の定期点検を実施すれ
ば、あとは風さえ吹けば単純にクルクル回って発電してくれる
ものと簡単に考えていたのですが、この後、しょっちゅう宿直室
からの電話で呼び出されることになります。

呼び出しの電話がかかってくると、眠い目をこすりながら、真冬
の寒い中家を出て、まずは役場の自分の席のそばに設置してある
遠隔監視装置へ行き、風車停止の理由を確認します。
冬の強風の場合、ほとんどの場合、「MCCB1動作」というエラー
メッセージが表示されていました。要するに、風の乱れにピッチ
制御が対応しきれず、風車が過発電を起こし遮断機が作動して風車
が止まった、という内容です。

MCCB1は遠隔監視装置から復帰させることはできないので、停止
した風車へ行かなければなりません。真冬の夜中に外灯一つ無い
山の上に行くのはけっこう辛いことです。もっと辛いのは、風車
を再起動して、家に辿り着く前に再度、宿直者から「また風車が
止まりました」と連絡を受けた時ですね(苦笑)。

こういうことが週に何回も続くと、「この状況は風車メーカーも
遠隔監視装置で把握しているはずだが、どう感じているのだろう?」
という疑問が頭をよぎるようになりました。
そして、「そのうちなんとか言ってくるだろう」と漠然と考えて
いました。

風力発電に携わって(その15)

2010-06-06 18:30:48 | 風力発電回顧日記
風車の組み立てが終了後、電気工事も終わりいよいよ風車が回り始め
ました。その後、使用前自主検査を行い、風車は完成しました。

当初、竣工式のようなものは行わないはずだったのですが、当時の町
長がやっぱりやりたいと言い出したので慌てて準備しました。招待状
の作成からすべて手作りで、パンフレットは少しでも見栄えのするも
のを作ろうと自腹でパブリッシャーというソフトを買いました。

平成15年12月25日に無事に竣工式を行い、その夜は手伝ってくれた同
僚二人を連れて焼肉屋で慰労会をしたのですが、その日の夜11時頃だっ
たでしょうか、風車が停止したという連絡がありました。

風車が完成してホッとしていたのですが、この日から風車が無条件に
クルクルと回るものでは無いと思い知るまで時間はかかりませんでし
た。

風力発電に携わって(その14)

2010-05-18 21:11:59 | 風力発電回顧日記
風車の組立には通常のクレーンではなく、送電鉄塔などの組立
に使う、せり上げ式のクライミングクレーン工法を採用しました。

サイトへ上る道路の関係などから大型クレーンの搬入が困難だと
いうことで使用した工法ですが、今考えると600KW機だし、ハブ高
も通常より低い設計なので普通のクレーンでも組み立てられた気も
します。どうなんだろう?

組立が始まってからは毎日、監督(というより見学か)と称して
現場へ行きました。とにかく大きなものを建設するというのは、わ
けもなくワクワクしました。

風車の組み立ては自分の想像よりあっさりと終了しました。

風力発電に携わって(その13)

2010-05-15 19:32:08 | 風力発電回顧日記
風車本体や系統連係盤などの電気設備の工場検査も無事に終了して
いよいよ運搬が始まりました。
風車は一度、サイト下の町営グランドに仮置きされました。600kWと
は言え、地上で見るとやはり大きいことに興奮しました。

風車サイトへは最大勾配21%の工事用道路を運搬しなければなりま
せん。当初、工事用道路の舗装は認めないというのがNEDOの方針で
したが、舗装しないと風車が運搬できないという資料を提出すれば
部分的に舗装の費用も補助の対象にすると言うので、日通さんに、
資料を作成してもらいました。

運搬には前後左右に移動できるモジュール式トランスポーターを使用
しましたが、舗装面にアンジュレーションがあり積載重量も軽いので
スリップして登れません。急遽、牽引の車両を追加して運搬しました。
工事用道路は地形の関係で一カ所スイッチバックするような形状になっ
ているため、そこまではバックでの運搬でした。
しかし、ドライバーはさすがにプロでした。人が歩くほどのゆっくりの
スピードですが確実に車両をコントロールしていきました。

運搬組立の模様です。
→ 風力発電: 写真で見る風車ができるまで

風力発電に携わって(その12)

2010-04-24 18:49:58 | 風力発電回顧日記
風力発電の建設に携わったわけですが、田舎の小さな役場なので
何から何まで自分でやらなければいけません。

特別会計の予算・決算、契約、契約の議決の議案作成、起債の借入、
基金条例の制定、補助申請や実績報告、支払い、現場管理、完成
検査、等々です。もちろん技術的なことはコンサルがやってくれ
るのですが、事務的なことは一人でこなさないといけません。

この他、企画調整課の通常ベースの仕事もあったので精神的には
結構きつかったように思います。

ただ、大きな自治体だと予算、契約、現場監理、支払いなどそれ
分担して実施することになると思うので最初から最後まですべて
理解できているというのは、風車建設後の視察対応や講演の依頼
、取材の対応などの際には非常に役に立ちました。

まあ、でももう一度やれと言われたら遠慮したいですね。
いや、でも風車の機種選定や収支計画の作成などはコンサルより
上手くできそうな気がします。

今日は43歳の誕生日だったのですが、次男(小五)から「おめ
でとう」と書いたキットカット1袋とかりんとうをプレゼントさ
れました(苦笑)。三男(小一)と近所の店に買いに行って来て
くれたそうです。ありがとう、嬉しいよ。

風力発電に携わって(その11)

2010-04-19 21:12:47 | 風力発電回顧日記
風車を発注する時に、コンサルの人が塗装の色見本を持ってきて
「風車何色にしますか?」と聞かれました。白以外は無いと思って
いたので少し驚いたのを覚えています。

白は飛行機から見分け易いのですが、雪の中でも判別できるように
厳密にはグレーがかっています。山の中に建てるときは、緑色やこ
げ茶色の方が目立たなくて良いのではないか?という人もいますが
自分は緑にも青空にも映える白が一番だと思います。

ちなみに鳥取県では風車の配列は不規則なものにならないよう一定
の規則性を持たせた配置をすることと、色は淡い灰色を使用するこ
とがガイドラインに規定されています。

風力発電に携わって(その10)

2010-04-17 21:54:37 | 風力発電回顧日記
長崎での風車工場検査の後、トランスや系統連係盤の検査
のために群馬に出張しました。

風力発電の担当になってそれ以前と変わったことの一つに
出張が増えたということがあります。企画調整課に来る前
は税務課(家屋課税)→建設課(工事)→総務課(財政)
と異動してきましたが、出張はほとんどが県からヒアリン
グを受けたり法律等の説明会へ出席したりと県外へ出かけ
ることは皆無でした。

企画調整課で風車を担当するようになってからは22都道府
県へ出張しました。一般企業なら珍しいことではないので
しょうが、基礎自治体で仕事をしているとなかなかこうい
う機会がありません。

出張の目的は風サミットだったり、シンポジウムやセミナー
だったりするのですが、あちこちに出張しているというこ
とは色々な人と接する機会をいただけるということなので
世界が広がります。

と今でこそ出張は苦になりません(県庁へのくだらない出
張は別です)が、最初は知らない所で一人で昼食をとるの
も嫌で憂鬱だったのを思い出します。

今ではスケジュールが合えば、有休とって興味のあるシン
ポジウムなどに出かけたりしています。きっと風力発電の
担当にならなければこういうこともなかったと思います。

風力発電に携わって(その9

2010-04-15 20:36:54 | 風力発電回顧日記
タワーの次に風車本体(ナセル、ブレード)の工場検査で長崎造船所
へ行きました。風車建設現場での配筋検査を済ませて昼からの出発
だったので長崎のホテルに7時頃ついて、ホテル前の居酒屋で夕食を
とりました。

検査当日は長崎造船所のオフィスで簡単な挨拶を済ませて、さっそく
検査となりました。この時、初めて発電機が韓国製であることや、
MWT‐600が生産を終了してカタログから消えることを知りました。
生産終了後の部品調達について質問したところ、「主要部品について
は在庫をしっかり確保しておくので大丈夫です」との回答がありま
した。今となってはそんなことは無かったことがわかったわけですが
その時は安心したのを覚えています。ちなみにそのように回答した
三菱重工の社員が誰だったかもはっきりと覚えてますよ(笑)。

工場検査は見る物すべてが初めての体験で非常にエキサイティングな
経験になりました。一番驚いたのはブレードの制作が非常にローテク
に見えたことです。ナセルの組み立て工場も意外と雑然としていまし
た。

昼休みには博物館内を見学させてもらいましたが、夕方まで検査が
続いたので長崎市内についてはまったく見て回る時間はありません
でした。いつかプライベートでぜひ遊びに行ってみたいと思います。

帰りは最終の新幹線で三島まで来て、車で大雨の中帰宅したのは午前
2時頃だったと思います。次の日も当然通常勤務だったのでけっこう
きつかったです。今となっては良い思い出です。