大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳伝(10)

2014年10月14日 | 労働者福祉
初めて避難勧告を出され戦々恐々としながら昨夜を過ごしましたが、無事に何事もなくホッとしています。
テレビで土砂災害の生々しい映像を見せられていますから、抱いていた不安感にも現実味があります。
みなさんの地域はいかがでしたか?

さて二宮尊徳伝の続きです。

尊徳の仕法はどのようにして行われたのでしょうか。
弟子のひとりが書いた「報徳外記」にはこう残されています。

「分度」が立ち、税法が定まってのち、興復の実施に従事する。
その実施には順序がある。
まず領内の一村から始めるのである。
一村に行うに道がある。
1、善を賞すること
2、困窮者を恵み助けること
3、地力を尽くすこと
4、教化を布くこと
5、貯蓄を積むこと である。

この仕法の評判は全国に広がっていきます。
各地から救援の要請が尊徳のもとに寄せられました。
報徳仕法が各地に広まるにつれて仕法の原理もさらに深められていきました。

尊徳は「無尽蔵」という考え方を強調するようになりました。
現代的な言い方をするならばこういうことです。
パイの分け前だけで論ずると互いに奪い合うだけの“ゼロサムゲーム”になってしまいます。
しかしパイそのものを大きくするために皆で努力し協力しようではないかとなれば状況は異なります。
現代版“連帯と協同”ですね。
そして勤労こそがそのパイを無尽蔵に産みだしていく源泉であることを力説しました。
尊徳が好んで詠んだという句が石碑で残されていますが、そのなかにもこんなサワリがあります。
「…無尽蔵 鍬でほり出せ 鎌でかりとれ」

(伊藤博文筆「無尽蔵」の書。大日本報徳社大講堂)

尊徳の名声が高まるにつれ弟子として教えを受けようとする者が増えていき、その弟子たちの手により「報徳記」「二宮先生語録」「報徳外記」「二宮翁夜話」など、貴重な資料が現代に残されました。


虐待が子どもに与える影響

2014年10月13日 | 労働者福祉
聞くことさえおぞましい虐待という言葉。
そのおぞましい虐待が子どもに与える影響には想像以上のものがあることを自己啓発研修会で学習しました。

私たちの子ども時代は決して豊かな生活とはいえませんでした。
生まれたのは敗戦からわずか6年後ですから、親達は生きるだけで精いっぱいの時代です。
でも親達は、生まれてきた私たちを心から愛して大切に育ててきてくれました。
どんな貧乏な家庭であってもそんな家庭ばかりでした。
そんな私には子どもを虐待する親の気持ちがどうしてもわかりませんでした。
率直にそんな疑問を講師にぶつけましたが、現実的に虐待は増加傾向にあります。

子どもを愛してはいるけれども、親の愛情表現にもいろいろあります。
昔はどんなに忙しくとも朝晩の食卓には家族そろって席に着きました。
それだけでも家族を感じて生きてきました。
子どもと親との関わり方がいびつであると“愛着障害”が起きます。
愛着障害を起こすと、生涯にわたって生きづらさが生じ、ストレス耐性も弱くなるといいます。
子どものもともとの気質ではなく、親と過ごす時間、養育の仕方、親自身の愛着スタイルによって、その子の生涯変わらない生き方になるそうです。
様々な愛着パターンを聞くうちに“関係性を持つことが下手な大人”が増えてきた原因が分かるような気がしました。
それは私たち世代の親の責任です。
関係性が持てない親からは何も学べません。
そんな子どもが親になるわけですから、当然その子どもたちは輪をかけて関係性を結べなくなります。
問題は複雑ですが、まずはそれらのことに気づくことから始まります。

子どもは自己中心性を持つ生き物です。
親から虐待を受けても、自分のせいだ、自分が悪いからだ、と自分を責めます。
その心は大人になってもずっと残ります。

自分を守るために意識や感情を切り離して麻痺させます。
麻痺させなければ自分が耐え切れないからそうするわけですが、それが常態化すると自分の痛みだけでなく相手の痛みも感じなくなります。
考えられないような残忍なことを平気でやるようになってしまいます。

虐待を受けた経験のある子は、子どもに虐待をする親になる傾向があるといいます。
DV被害者も同様で、再婚相手からもDV被害を受けることが多いといいます。
虐待関係の反復傾向です。

虐待の起こらない社会はどうすれば実現するでしょうか?
虐待されている子どもを救うためには、虐待している大人を救うことが必要だと講師はまとめてくれました。
フードバンク事業もそうですが、社会の実態をまずは知ること、知らせることが重要だと思いました。


二宮尊徳伝(9)

2014年10月12日 | 労働者福祉
町内に被害はないと思っていた台風18号でしたが、小学校のグランドに土砂が流れ込んでいたため、今日予定されていた町内運動会は中止となりました。
そのほかにも町内を流れる安倍川支流の一つも決壊寸前の状態であったことを知りました。
この状態で大型台風19号が接近中の報道を聞くとちょっと不安になります。
とりあえず家のまわりの片付けだけはなんとか済ませましたが、頻繁に起こる異常気象に誰しもが無関係ではいられなくなりましたね。

さて二宮尊徳伝の続きです。

尊徳のものの考え方はきわめて合理的で科学的です。
またその思想は、東洋思想の原点でもある「陰陽説」に基づいた思想です。
陰陽は対立しあい、変化して、万象は止むことなく循環します。
怠奢から貧賤へ、貧賎から勤倹へと因果・輪廻を繰り返していきます。

尊徳の哲学思想は世界的に見ても最高レベルのものですが、尊徳の思想はあくまでも“実践の哲学”でした。
だから最後まで現場を離れず、誰にもわかりやすい比喩で実に巧みに教えを説いて回りました。

天地自然の法則や働きを「天道」といい、人間の主体的な努力のことを「人道」といいますが、その関係を次のように説きました。
「人道は基本的には天道に従いながらも、部分的には天道に逆らう。
人道はたとえば水車のようなもので、半分は水の流れに従い、半分は水の流れに逆らって回り、水車としての務めを果たしている。
もしことごとく水中に入るか、ことごとく水上に出るとすれば、循環できなくなる」

ある日、尊徳のところに名主を先頭にして多くのお百姓たちがやってきました。
尊徳の仕法の評判を聞いて「自分たちの村に来て指導してもらいたい」という嘆願です。
尊徳の仕法は殿様の依頼によって行われるものですから、勝手にできるものではありません。
何度も断りますが、あまりの熱意に心を動かされ、できるところからの手助けをしてやることとなりました。
こうして尊徳の仕法の評判は日に日に高まっていきました。
どの村でも基本的なやり方は同じで、そのやり方は「報徳仕法」と呼ばれるようになります。

「勤労」こそが価値を産み出す源泉であり、
勤労によって得た収入に応じて支出に「分度」を設定し、
その範囲内で計画的にやりくりをする「倹約」の経営法。
それによって生じた余財は将来のために譲り残し(自譲)、
他人のために推し譲ること(他譲)とする。

ここに尊徳のいう「報徳」という思想基盤が確立しました。

二宮尊徳伝(8)

2014年10月10日 | 労働者福祉
身寄りの無い遠縁の老人が亡くなったためお手伝いで怒涛の如き2日間を過ごしました。
昨日の朝、お世話になっていた介護老人ホームからの連絡で亡くなったことを知らされますが、どうしても当日中に引き取って欲しいとのこと。
引き取るといってもそんな家はありませんから、そこから考えなければなりません。
結論から言えば、午後4時半に引き取って、今日の11時に火葬をし、某所にて永代供養していただくようお願いしお骨を預けました。
まさに初体験の連続にどっぷり疲れました。

さて二宮尊徳伝の続きです。

尊徳45歳の時でした。
老中首座になっていた小田原藩主と会った尊徳は、財政再建を果たしたその仕法について尋ねられ、次のように答えました。

「荒地には荒地の力があります。
荒地は荒地の力で起こし直しました。
人にもそれぞれの良さや取り柄があります。
それを活かして村を興してきました」

殿様は「それは『論語』にある“徳を以て徳に報いる”というあれだな」と言われました。
尊徳はこの言葉に感激し、その後「徳」および「報徳」という言葉を中心に据えて、自分の思想体系を練り上げていきました。

尊徳は物や人に備わる良さ、取り柄、持ち味のことを「徳」と名づけ、それを活かして社会に役立てていくことを「報徳」と呼びました。
二宮哲学は「報徳訓」という教訓に集約されていますが、その内容を報徳博物館の佐々井先生は「かなほうとくくん」としてわかりやすく表現しました。

一、てんちの いのちで いきている
  せんぞの いのちで いきている
  おやの いのちで いきている
  しそんに いのちを つたえよう
  いのちを しっかり つたえよう
(天地自然から与えられ、天地の令命に活かされている貴重な生命を大切にして、これを次の世代へ引き継いでいく)
二、ぶんかの めぐみで くらしてる
  せんぞの めぐみで くらしてる
  おやの めぐみで くらしてる
  しそんに めぐみを つたえよう
  めぐみを しっかり つたえよう
(文化や繁栄を世代から世代へと継承し発展させていくべき)
三、ごはんのおかげで いきている
  きものの おかげで いきている
  すまいの おかげで いきている
  たはたの おかげで くらしてる
  やまの おかげで くらしてる
  うみの おかげで くらしてる
  こうばの おかげで くらしてる
  みせの おかげで くらしてる
  みんなの おかげで くらしてる
  もちば もちばで つとめよう
  もちばで しっかり つとめよう
(社会的・経済的な分担と協力の関係性はすべて相互依存関係にある)
四、きのうの ごはんで きょういきて
  きょうの つとめは あすのため
  きょねんの みのりで ことしいき
  ことしの みのりは らいねんへ
  いつでも どこでも おんがえし
  いつでも しっかり とくいかし
(過去・現在・未来という時間的な流れの中での恩徳と報徳の関係)

報徳の心を身につけて、無意識のうちに実践できるようにとの教えです。
家庭や職場、地域社会など、身近なところから始めなければならないと尊徳は説いています。

二宮尊徳伝(7)

2014年10月09日 | 労働者福祉
日米両政府による「日米防衛指針」の中間報告がまとめられたという報道記事を読みました。
圧倒的与党のチカラで「集団的自衛権」の解釈拡大を閣議決定はしましたが、肝心の安全保障関連法案の提出は来年の通常国会に先送りされています。
国会で様々な問題が出されるようだと来春の統一地方選に影響するからでしょう。
しかしその裏側で日米両政府が、集団的自衛権の行使を前提とした防衛協力を固めていくやり方にはいささかの抵抗を感じます。

(毎日新聞より)

「自衛権の行使」が拡大解釈されるとどうなるか。
米軍のシリア空爆も、米国民を守るための「個別的な自衛権」の行使であると国連に対して文書で通告していますから、想像は容易にできます。
世界中がきな臭くなっているなかで、国会で議論のないままに進んでいく状況はあまりに異常だと私は思います。

さて私が尊敬する二宮尊徳伝の続きです。

お百姓たちのやる気もだんだんと出てきます。
放置されていた荒地の開墾を進めるために、尊徳は近隣の村々からも人夫を募りました。
お百姓たちにとっても借金返済のための賃金稼ぎになりますから大助かりです。
しかしそれだけでは殿様と約束した年貢倍増には追いつきません。

そこで尊徳は、越後(新潟県)や加賀(石川県)などから、入植者が定着しやすいような方法を講じた上で入植希望者を集めました。
入植者たちは故郷を出るときに覚悟を決めていますから、一所懸命に精を出して開墾に励みました。

尊徳は、人々の勤労意欲を掘り起こしながら、村落共同体の再構築を目指しました。
そのための方法として、村で行われていた「寄り合い」を活用しました。
彼はそれを“芋こじ”と名づけました。
「芋こじ」の本来の意味は、里芋を水と一緒に桶に入れて、“こじ棒”でゴロゴロとこじりながら汚れを洗い落としていくことです。
彼は、寄り合いでの話し合いが“芋こじ”と同じような作用をし人々の心を清浄にして、村人同士が互いに協力し合っていけるように指導したのです。

事業を進めるに当たり、村人たちをどのように指導し教化すべきかについて、尊徳は次のように語っています。
「自分が早起きしてのちに民にこれを教え、
自分が遅く寝てのちに民にこれを教え、
自分が精励してしてのちにこれを民に推しひろめ、
自分が節倹を行ってのちにこれを民に及ぼし、
自分が信忠孝弟であってのちに民を導く。
百行みな同様である。
それでもなお民に奮い立たぬ者があるとしたならば、
それはわが心に誠実の至らぬものがあるためである」

すなわち自らができぬことを、他人に求めることはできないということでありましょう。

しかしそのうちに尊徳のやり方(仕法)について反対する者も多く出てきました。
彼の成功を妬む武士もいました。
古くからの村人と入植者たちの対立が起こったり、「分度」によって俸禄を低く抑えられている小田原藩士たちの妨害にも合いました。
事業半ばにして大きな難関に直面した尊徳は、藩に対して抗議を込めた長文の辞職願を提出します。
しかしその願いは放置されたまま殿様の元に届きません。
それを知った尊徳は雲隠れをして姿を消します。
成田山に籠って21日間の断食行に入ったのはこの時です。
尊徳43歳の時でした。

尊徳の雲隠れを契機にして、情勢は大きく変わりました。
反対派の勢力がそがれ、協力派が勢力を拡大していきます。
尊徳の仕法はこれを契機にしてほぼ順調に進展するようになりました。

また成田山の体験は、尊徳が自分の思想を練り上げるためにも大いに役立ちました。
「一円」という思想もそのひとつです。
陰と陽、善と悪、貧と富などの対立するものを対立したままに見る見方を「半円の見」といいました。
それに対して、これらの対立するものを融合して一段高い立場から統一して見る見方のことを「一円の見」といいました。

一円に みのり正しき 月夜かな

尊徳が読んだ一句です。