大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳伝(7)

2014年10月09日 | 労働者福祉
日米両政府による「日米防衛指針」の中間報告がまとめられたという報道記事を読みました。
圧倒的与党のチカラで「集団的自衛権」の解釈拡大を閣議決定はしましたが、肝心の安全保障関連法案の提出は来年の通常国会に先送りされています。
国会で様々な問題が出されるようだと来春の統一地方選に影響するからでしょう。
しかしその裏側で日米両政府が、集団的自衛権の行使を前提とした防衛協力を固めていくやり方にはいささかの抵抗を感じます。

(毎日新聞より)

「自衛権の行使」が拡大解釈されるとどうなるか。
米軍のシリア空爆も、米国民を守るための「個別的な自衛権」の行使であると国連に対して文書で通告していますから、想像は容易にできます。
世界中がきな臭くなっているなかで、国会で議論のないままに進んでいく状況はあまりに異常だと私は思います。

さて私が尊敬する二宮尊徳伝の続きです。

お百姓たちのやる気もだんだんと出てきます。
放置されていた荒地の開墾を進めるために、尊徳は近隣の村々からも人夫を募りました。
お百姓たちにとっても借金返済のための賃金稼ぎになりますから大助かりです。
しかしそれだけでは殿様と約束した年貢倍増には追いつきません。

そこで尊徳は、越後(新潟県)や加賀(石川県)などから、入植者が定着しやすいような方法を講じた上で入植希望者を集めました。
入植者たちは故郷を出るときに覚悟を決めていますから、一所懸命に精を出して開墾に励みました。

尊徳は、人々の勤労意欲を掘り起こしながら、村落共同体の再構築を目指しました。
そのための方法として、村で行われていた「寄り合い」を活用しました。
彼はそれを“芋こじ”と名づけました。
「芋こじ」の本来の意味は、里芋を水と一緒に桶に入れて、“こじ棒”でゴロゴロとこじりながら汚れを洗い落としていくことです。
彼は、寄り合いでの話し合いが“芋こじ”と同じような作用をし人々の心を清浄にして、村人同士が互いに協力し合っていけるように指導したのです。

事業を進めるに当たり、村人たちをどのように指導し教化すべきかについて、尊徳は次のように語っています。
「自分が早起きしてのちに民にこれを教え、
自分が遅く寝てのちに民にこれを教え、
自分が精励してしてのちにこれを民に推しひろめ、
自分が節倹を行ってのちにこれを民に及ぼし、
自分が信忠孝弟であってのちに民を導く。
百行みな同様である。
それでもなお民に奮い立たぬ者があるとしたならば、
それはわが心に誠実の至らぬものがあるためである」

すなわち自らができぬことを、他人に求めることはできないということでありましょう。

しかしそのうちに尊徳のやり方(仕法)について反対する者も多く出てきました。
彼の成功を妬む武士もいました。
古くからの村人と入植者たちの対立が起こったり、「分度」によって俸禄を低く抑えられている小田原藩士たちの妨害にも合いました。
事業半ばにして大きな難関に直面した尊徳は、藩に対して抗議を込めた長文の辞職願を提出します。
しかしその願いは放置されたまま殿様の元に届きません。
それを知った尊徳は雲隠れをして姿を消します。
成田山に籠って21日間の断食行に入ったのはこの時です。
尊徳43歳の時でした。

尊徳の雲隠れを契機にして、情勢は大きく変わりました。
反対派の勢力がそがれ、協力派が勢力を拡大していきます。
尊徳の仕法はこれを契機にしてほぼ順調に進展するようになりました。

また成田山の体験は、尊徳が自分の思想を練り上げるためにも大いに役立ちました。
「一円」という思想もそのひとつです。
陰と陽、善と悪、貧と富などの対立するものを対立したままに見る見方を「半円の見」といいました。
それに対して、これらの対立するものを融合して一段高い立場から統一して見る見方のことを「一円の見」といいました。

一円に みのり正しき 月夜かな

尊徳が読んだ一句です。