大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳伝(4)

2014年10月06日 | 労働者福祉
台風18号に通勤の足をとられて、周りの事務所も閑散としていましたが、みなさんのところはどうでしたか?
朝のニュースで避難勧告が出されていましたので、勧告を出されている親戚の家へ電話してみました。落ち着いたもので「避難って言われても、家にいるほうがよっぽど安心だ」。
きっとそんな人ばかりなんでしょうね。

さて二宮尊徳伝の続きです。

家業に専念していた金次郎のもとへ、以前奉公していた家老の服部家から使者が来ます。
破綻しかけている服部家の財政再建を手がけて欲しいという依頼でした。
金次郎は何度も辞退しますが、家老のたっての頼みで引き受けることとなりました。
ただし、金次郎のやり方に家中の全員が従うという条件をつけました。

財政が破綻する原因は単純です。
収入以上に支出するからです。
金次郎は次のような基本方針を打ち立てます。

収入に応じて支出の一定の限度を設けること。

その限度内で支出を計画的に行うこと。

節約できる支出はできる限り節約すること。

つまり“入るを量って、出ずるを制す”ですね。
この収入に応じて設定する支出の限度のことは後に「分度」と名付けられ、尊徳流経営方式「報徳仕法」の中心的考え方となります。

尊徳の日常生活は生涯にわたって質素倹約でした。
粗衣粗食で貫き通しましたが、決してケチを奨励したのではありません。

(墓石を立つることなかれ…尊徳の遺言どうりのお墓(栃木県)ですが胸打たれますね)

尊徳流にいうならば、そもそもケチと倹約とは大きく異なります。
一つは「目的・動機」の違いです。
ケチは“自分のため”であり、倹約は“他人のため”です。
もう一つは、その目的と関連するのですが、「経済的な分度」(収入に応じた支出の限度)を設定することを、倹約の前提としたことです。
その分度に基づいて計画的な支出を行い、余剰を生み出し、その余剰を“他人のため”に役立てることこそ、尊徳の勧めた倹約です。

しかし尊徳の必死な倹約術も、武家財政のむずかしさにはなかなか届きません。
財政再建を引き受けた時、服部家には収入の一年分を超える借金がありました。
当初5年半で借金をゼロにするという計画を立てますが、主人の支出を抑制することや、急に家屋の増改築を命じられたり、そのうえ家老が江戸詰めを命じられたりと、予定外の出費はかさむばかりです。
結局借金を完済できるまでには30年以上もかかってしまいました。

そんな苦労の連続で家にも帰れなかった尊徳は、33歳の時最初の妻と離縁します。
責任を感じた家老の紹介で再婚を果たした尊徳は、その後再婚した「なみ夫人」と生涯苦労を共にします。
「なみ夫人」も賢夫人と呼ばれるほどの人だったそうですから、相方の存在も大きいですね。