大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳伝(3)

2014年10月04日 | 労働者福祉
県労福協理事長の立場で労組大会挨拶をする場面で悩むことがあります。
連合の仕事をしていた時は、労働運動も政治活動も最前線に立って行動していましたから、組合員に近い目線で話ができました。
でも今の私の実体験はいささかそこから離れています。
どちらかといえば未組織労働者や生活困窮者など社会運動の話ですから、3分や5分程度の挨拶時間ではなかなか理解されないのかもしれません。
今日の某単組大会でもそれを感じました。
正社員の男性だけで構成されている組織において、どういう風に話せばひと言で“助け合い・支え合い”の運動を理解させることができるのでしょうか?
長い挨拶は嫌われますので、これまた勉強の種・種・種ですね。

さて、二宮尊徳伝の続編です。

金次郎は2年ほどで伯父さんの家を出ます。
その後は名主の家などいくつかの家に住み込んで働きました。
日雇いにも出て給金を稼ぎ、貯まったお金で手放した田んぼを買い戻していきます。
20歳の時、自分の生まれた家の跡地に小さな小屋を立てて、そこを生活の拠点とします。
そこから8キロほど離れた小田原の町へ野菜や薪の行商に出ますが、そのうちに商人や武士の家へも立ち寄るようになりました。
商人の家ではソロバンや大福帳のつけ方などを学びました。
25歳の時には小田原藩の家老の屋敷に若党として奉公することになりますが、漢学塾に学ぶ子息のお供をして窓の外で先生の講義を聞いて学ぶうちに、子息の家庭教師ができるまでに成長します。
子供の頃から独学で勉強していたことに加え、窓の外の漢学塾によって儒教の経典である四書五経についての学習を深めたことは、後に金次郎が小田原藩の武士に取り立てられたとき大いに役立ちます。

若党の生活は四年ほどで終わりますが、金次郎はお金が貯まると次々と田んぼを買い増していきます。
手に入れた田んぼは小作に出して、自分は相変わらず住み込みや日雇いで稼ぎます。
そのうちにお金を貸して利息を取ることも覚えていきます。
そうこうしているうちに財産はどんどん増えていき、31歳の時には村でも有数の大地主になっていました。

奉公先のあちこちで金次郎は他の奉公人たちの生活指導をこまごまと行っていました。
いろいろな相談を受けてそれに乗ってやり、お金に困った人にはお金を貸してやりました。
お金を貸すときには必ず返済できるようにするためにことこまかに返済計画を立てさせます。
給金が貯まった人からは、それを預かり、ほかへ融資をして利息を稼いでやりました。
このような活動から、金次郎は「五常講」という信用組合のようなものを考え出します。
五常とは、儒教の教えの基本である「仁・義・礼・智・信」という道徳的なルールのことです。
「五常講」は、五常という道徳的ルールと金銭貸借という経済的な行為とを調和させ融合させた発想から生まれました。
この「五常講」の考え方は、その後大きく発展していきます。