大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

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土浦の予科練平和記念館

2015年10月21日 | 日々徒然
茨木県での会議の前は水戸の「弘道館」を訪れました。
道を広(弘)める意味合いの「弘道館」には共感しましたが…。

会議が終了してから訪れた土浦の「予科練平和記念館」はちょっと違和感を感じてしまいました。
立派な会館でしたが展示物や説明の内容に一部「予科練」の教育活動の正当性(?)らしき臭いを感じたからかもしれません。

昭和5年に「予科練」制度ができ、「予科練」に応募してきた全国の貧しい家庭の子どもたちのなかから73倍の狭き門を突破し、1期生79名が誕生しました。
以降14歳から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、若いうちから基礎教育を行い熟練した搭乗員を育てていきますが、第2次大戦勃発が予科練の性格を大きく変えていったのだと思います。
敗戦色が強まると、「予科練」生は特攻隊として出撃していきます。
なかには飛行機ではなく潜水艇「回天」などで貴重な命を散らした若者も多くいました。

個人的には「予科練平和記念館」よりも隣接した自衛隊施設「雄翔館」に胸打たれました。
ここには特攻で若き命を散らした人たちの家族へ宛てた遺書が展示されています。

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2 コメント

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戦争 (宮城県)
2015-10-26 08:56:09
私の義父は予科練の先生をしていたそうです。生きていれば100歳を超えています。生前戦争の話は一切しませんでした。辛い思いでしかなかったのだと思います。戦争を知らない世代が多くなった現在、記録の残しかた一つで、見る人によっては憧れ(極端ですが)にも思うかもしれません。
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辛い話ですね (管理人)
2015-10-26 19:41:21
予科練の先生とは、それはずい分辛い経験だったんでしょうね。
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