大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

現代の経営(現在と未来のマネジメント)

2015年03月31日 | 読書
トップリーダーは孤独です。
なぜならば現在にも未来にも責任を持った意思決定をしなければならないからです。
そのためには大いに学ばなければならず、いくら悩もうとも決断し実行する勇気を持たねばならないからです。
だからその苦労や孤独を乗り越えるだけの大いなる志が必要です。
あなたの志はなんですか?
新訳 現代の経営〈上〉 (ドラッカー選書)
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社

マネジメントに関わる問題、決定、行動にはもうひとつの要素がある。
マネジメントの第四の機能というより第四の次元というものである。
すなわち時間である。

マネジメントは常に、行動のための意思決定に関与している。
そのためマネジメントには常に、時間という次元が存在する。
その行動は常に、将来における成果を目標とする。
単に知ることについてではなく、行動することについて責任を持つ者は、すべて未来に向かって行動する。
しかし、企業のマネジメントにとって、時間という次元が特に重要であり、特に困難である理由は二つある。

第一に、今日の経済と技術の特質は、それに関する決定が実を結び、その効果が確認されるまでの期間がますます長くなっていくことにある。

第二に、企業のマネジメントは、そしておそらく企業のマネジメントだけが、常に現在と未来の双方を生きなければならないからである。



事業のマネジメント、経営管理者のマネジメント、人と仕事のマネジメントというマネジメントの三つの機能は、それぞれ別個に分析し、研究し、評価することができる。
しかも、それぞれの機能について現在と将来を区別することもできる。

しかし日常の仕事の中で、マネジメントがそれら三つの機能を別個に扱うこともできないし、現在のための意思決定と将来のための意思決定を区別することもできない。
これら三つの仕事は同時に行われるし、一つの決定のうちに常に三つの仕事が含まれる。
このことこそが経営管理者に特有の状況である。

現代の経営(マネジメント3つの機能)

2015年03月30日 | 読書
労働者福祉事業団体も企業と同様にマネジメントが重要です。
今更ながら古典書を読み返しています。
P.Fドラッカーの「現代の経営」です。
ドラッカーは「マネジメントとは、事業に命を吹き込むダイナミックな存在である」としています。
新訳 現代の経営〈上〉 (ドラッカー選書)
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社


マネジメントとは、組織体に特有の機関である。
組織が決定し、行動し、ある態度をとるということは、マネジメントがそれらのことを行うということである。

マネジメントの第一の機能とは、「事業のマネジメント」をすることである。
事業のマネジメントとは、目標によるマネジメントである。
意識的かつ目的的な行動によって、その環境を変えるかぎりにおいて、真にマネジメントをしているといえる。

マネジメントの第二の機能とは、「経営管理者のマネジメント」である。
経営とは、人的資源を使って生産的な企業をつくることである。
成長可能な資源は人的資源だけであり、他の資源はすべて機械的な法則に従う。
したがって経営管理者のマネジメントは、重大な仕事であるとともにきわめて複雑な仕事である。

マネジメントの第三の機能は、「人と仕事のマネジメント」である。
仕事は、まったくの非熟練工から名人級の技術者、雑役から副社長にいたる、あらゆる種類の人たちによって行われる。
そこで、人に最も適するように仕事を組織し、最も生産的かつ効果的に仕事ができるように、人を組織することが必要となる。
そもそも働くか否か、いかに働くか、いかによく働くかを自ら決められる存在として人はいる。
だから動機づけ、参画、満足、報酬、リーダーシップ、地位と機能を要求する存在として、人を見ることが必要である。


ドラッカーの言うように、成長可能な資源は人的資源だけです。
いかにして人々を成長させるか、真に働くということはどういうことか、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。


世界の憂鬱

2015年03月27日 | 政治
イスラム国ならぬIS。
昔タリバン、過激さ増して今はISに若者が流れる。
中東はいつの時代も火薬庫だが、大きな時代の流れは「文明の衝突」の予言通りか?

サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」を書いたのは1998年のことでした。
大雑把に言うとこういうことです。
1、第2次大戦後、世界政治は二極化して、世界は3つのグループに分かれた。
ひとつは、アメリカを中心とした豊かな民主主義社会グループ
ふたつは、ソ連を中心とした、やや貧しい共産主義社会グループ
みっつは、両グループの代理戦争の場となった極貧の第三世界

2、1980年代に共産主義が崩壊し、アメリカが世界の覇権国として君臨するが、次第に世界は多極化していく。

3、その多極化のあいだの最も重要な違いは、イデオロギーや政治経済ではなく、文化や文明の違いである。

4、地域の政治は民族中心の政治に、世界政治は文明を中心とする政治になる。

5、超大国同士の抗争にとってかわって文明の衝突が起こる。

サウジアラビアが26日、イエメンへの空爆を決行しました。
サウジはイスラム教スンニ派による君主制国家です。
サウジを中心としたペルシャ湾岸5ヵ国によるイエメン空爆はなぜ起こったのでしょうか。
イエメンはスンニ派・シーア派との内戦で荒れており、もし仮にシーア派による国家転覆が起こると周辺各国に伝染する恐れがあるからです。
同じイスラム教でも殺し合う時代に突入して、中東の火薬庫に火花が散っています。
世界の憂鬱はますます深まります。

谷深し

2015年03月26日 | 日々徒然
2010年12月、チュニジアで民主化革命が起こりました。
民衆デモから始まったこの運動はジャスミン革命と呼ばれ、中東各国に広がっていきます。
当時の世相を、拙著ブログ南町の独り言「悪循環の罠」では、次のように書いてありました。
「…歴史の教訓が、私たちにイエローシグナルを送っています。
あの不幸な大戦がどこから起こったのか?
我が痛みを逃れ、彼の痛みに押し付けることをしようとした時に悲劇は起こります。
強者が弱者にそれを強要してきた結果、そこに生まれた歴史を学びましょう」

2015年3月、民主化が成ったチュニジアの首都で観光客を狙った大規模テロが発生しました。
このテロにより日本人3人を含む21人が殺害されるという悲惨な事件でした。
襲撃犯はIS(イスラム国)の影響を受けたチュニジアの青年たちです。
彼らは独裁体制から民主化体制の変化によって、豊かな生活が実現するとの大きな期待を抱きました。
しかし、その期待を裏切られたことで深い失望の谷間に落とされます。
悪魔が、彼らの心の隙間に入り込むのは簡単です。
ISの過激思想につけこまれて、彼らは洗脳されていきました。
そして、あの悲惨なテロが起こりました。


2009年9月、日本でも悲願の政権交代が成りました。
それも衆院では絶対安定多数を超える308議席を確保しての政権交代でした。
為政者中心の政治から生活者中心の政治に、これで世の中が変わる!と誰しもが喜びました。
しかし稚拙な政権運営がたたって、わずか3年で政権の座を自民党に奪われます。
山高ければ谷深し、の喩え通り、有権者には失望感と無力感とがどうしようもないほど深まります。
その深い谷間から這い上がれないうちに、大きな法改正がするすると通過していきます。
2015年2月、労政審で「残業代ゼロ法案」が通過します。
その舌の根も乾かない3月には、政府の規制改革会議が「解雇の金銭解決制度」導入を提言しました。

失望の谷間から早く抜け出さないと、ますます深い闇の中へ引きずり込まれるような予感がするのは、私だけでしょうか。



天皇皇后両陛下のこころ

2015年03月25日 | 日々徒然
天皇皇后両陛下は、今年戦後70年を迎えるにあたり、パラオ共和国を含む太平洋諸島への慰霊の旅に出ます。
81歳という高齢を考えると両陛下にとってはとても過酷な旅になると思います。

皇后陛下は昨年の誕生日に際し、戦後70年に向けた思いをこんなふうに話していました。
「…私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。
まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。…
世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。
遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」
こんな素敵な皇后さまを持てたこと、ひとりの日本人として誇りに思います。

これに対して、両陛下が慰霊に訪れるパラオで、海中に沈む日本海軍の沈没船に中国国旗がゆわえつけられていた事件が発覚しました。
誰の仕業かわからないままにいつのまにか撤去されていたとのことですが、あまりに気持ちの悪い悪戯で、胸糞が悪くなりました。



さて、来月8日から2日間、両陛下がパラオを訪れることを報道で知りました。
しかし、驚いたことにチャーター機で4時間半かけてパラオに向かい、各国首脳との晩餐会の後、海上保安庁の巡視船に宿泊するというではありませんか。
報道では日程的な都合からそうなったとの説明ですが、81歳になる両陛下はあの狭い巡視船のなかで波に揺られてどんなことを思うのでしょうか。

天皇陛下の昨年の誕生日の言葉です。
「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。
私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。
終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。
前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」

戦没者の慰霊の旅にかける両陛下のこころは、ますます右傾化していく安倍政権に対するアンチテーゼのような気がしてきました。