大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

無知の知はますます深まる

2015年01月31日 | 日々徒然
クイズです。
中国ではGDP成長率が長期的に低下傾向にありますが、求人倍率は上昇しています。
それはなぜでしょうか?

答え
高齢化による生産年齢の減少と、雇用吸収力のあるサービス産業が拡大しているからです。
ちなみに中国の定年年齢は男性60歳、女性50歳です。

クイズです。
日本の年金制度は「国民年金」と「厚生年金」の2階建てですが、中国にも年金制度はありますか?

答え
中国にもありますが、官民格差の大きい制度です。
公務員は自己負担なしで、年金額は退職前賃金の80~90%です。
会社員は自己負担8%・会社負担20%で、年金額は退職前賃金の40~50%です。
農民には農民年金制度がありますが、納付率11~12%であり、伝統的に家族や土地が生活を保障するという考え方のようです。
要するに死ぬまで元気に働らきなさいというものですね。

クイズです。
中国の高齢化はどれほどのスピードで進むのでしょうか?

答え
中国の60歳以上の人口は、2010年からの40年間で2倍以上に増え、2050年には4億3800万人にも達します。

クイズです。
2050年にはどんな世界になっているんでしょうか?

答え
そういえば少し前に「2050年の世界」という本を読んでブログに書いた覚えが?

ふと浮かんだ疑問からつぎつぎと新たな疑問が沸いてきます。
今日の疑問は月に一度定期巡回(?)している某証券会社の窓口でもらった「投資情報紙」から湧いてきました。
私の定期巡回は3ルートあり、そのひとつが銀行&証券会社ですが…なかなか面白いですよ。
疑問を覚えたらその答えを見つけるためにインターネットは最適です。
でも、こうしてブログ記事にするためには無数にある情報を吟味する必要があります。
そうすることで無知の知はますます深まっていきますし、仕事にも役立ちますからオススメですが…図々しさもちょっと必要です。

賀川豊彦伝(2)

2015年01月30日 | 労働者福祉
賀川豊彦のことを調べれば調べるほど惹きつけられていく自分を感じてなりません。
貧困救済運動や労働運動やさまざまな社会運動に携わるわけですが、そのお金はどこから調達してきたんでしょうか?
現在私たちも「フードバンク事業」を手がけていますが、その運営資金調達で苦しんでいます。
そのヒントがふたつありました。
ひとつは「困ったら求めなさい」ということです。
これは早速個々に実践していますが、もうひとつは到底かなわないことでした。
それは彼が作家としてベストセラーを産みだして得た莫大な印税でした。

その印税を彼は惜しみなくつぎ込んでくれました。
その印税に代わるべき善意の資金をどこかに求めなければなりません。
これからの大きな課題です。

さて「賀川豊彦伝」のつづきです。

豊彦10歳の時にもうひとつ新たな事件が起きます。
学校の用務員の娘が溝に落ちて、重傷を負い、肋膜炎にかかって亡くなったのです。
ところが豊彦がその子を溝の中に突き倒したのだと、近所の子ども達が犯人扱いしました。
世間はそれを信じ、少女の父親は豊彦に香典として100円を要求しました。
身に覚えのない豊彦でしたが、自分の飼っている鶏が生んだ卵を売って貯めたお金全部を少女の父親に渡します。
後に豊彦は、その少女が田に水を入れる水車を踏んでいて誤って落ちたことを知りますが、この出来事は彼の心に深い傷を残しました。
彼は激しく落ち込んで、心の病に苦しみました。

入学年齢よりも1歳若かったのに、兄に頼んで無理矢理に中学入学の試験を受けさせてもらったのも、この苦しみから逃れるためでした。
村を離れ、新しい所に出ていくことができて、豊彦は大喜びでした。
この徳島中学校時代に豊彦は外国人クリスチャンと出会います。
豊彦はキリスト教に傾倒していく一方で、結核に悩まされたうえ、とうとう長男が継いだ賀川回漕店も破産し、叔父にひきとられていきます。
そんな苦しみから逃れるように、片っ端から本を読みあさっていく彼に最も深い精神的影響を与えたのは聖書でした。
心理的な問題で悩み、家族との不和で苦しみ、疎外され、金銭的な問題、病気の心配を抱えていた若き豊彦は、聖書の言葉によって限りない慰めを与えられます。
徳島日本基督教会でマヤス宣教師から洗礼を受けたのは、豊彦16歳の時でした。

洗礼を受けた年(1904年)に日露戦争の幕が切って落とされます。
教育制度は愛国主義と軍国主義を強調するものに改定されていきました。
徳島中学でも軍服を着用し、軍事教練が正課として行われていました。
銃を片手に野外訓練の行進をしていたとき、豊彦は銃を放り出して、自分は平和主義者であるから人を殺す武器は持たない、と宣言します。
教師は銃を拾い参加するように命令しますが、豊彦はこれを拒否するので、殴打され、蹴られたりもしますが、彼は怯みませんでした。
彼は頑固に信仰に固執して、将来の約束された出世を拒絶します。
中学卒業後、輝かしい将来を約束されている東京帝国大学への道を示されますが、豊彦はそれを断りキリスト教伝道者となるべく明治学院へと進みます。

(つづく)

賀川豊彦伝(1)

2015年01月29日 | 労働者福祉
労働者自主福祉運動に関わる4人の先人たちについて学び紹介するのが語り部ゼミの一員である私の宿題です。
他のゼミ生もそれぞれ宿題を抱えて苦しんでいますが、私もいよいよ最大の難関「賀川豊彦伝」に取り掛かります。
これまで「二宮尊徳伝」「ガンジー伝」「ケインズ伝」と進めてきましたが、4人には賀川も含めていくつかの共通点があることに気づきました。
ひとつめは、幼少期は比較的裕福な家庭に育ったが…
ふたつめ、あることから一転して人生の変わり目に立ったり、大きな挫折を経験するが…
みっつめは、キリスト教的な見返りを求めない無償の愛を貫く生き方を実践した、という共通点です。
4人の生き方を辿りながら、自分自身の生き方についても多くを考えさせられました。

さて賀川豊彦についてですが、その人物評価は実に極端です。
「スラムの聖者」「現代の聖フランシスコ」「世界の賀川」との評価もあれば、「売名家」「偽善者」「日和見主義」というひどい評価もあります。
しかし他に類を見ないほどの広い分野で中心的指導者として活動してきたことは事実ですし、信じられないほどのマルチ人間であることも事実です。
そうかと思えば賀川が育ててきたそれぞれの分野においてですら、賀川豊彦の名前すら知らない人達が多いという現実もまた事実です。
こと左様に難しい人物像をどう語るか悩みましたが、調べたことを私情をいれずに淡々と綴っていきたいと思います。

さて「賀川豊彦伝」の始まりです。

賀川豊彦は複雑な少年時代を過ごしました。
豊彦の父「純一」は、15歳の時に大地主で地方の名家「賀川家」の養子となり、7歳年下の娘「みち」と結婚します。
純一は自由民権運動の支持者として政治の道を志したり、神戸で事業を興し各地に支店を設けるような多才な人物でした。
しかし純一の結婚生活は順調ではありませんでした。
彼は別の女性と同居を始めます。
徳島に住む妻とその母のもとを去り、元芸者「かめ」との生活が神戸で始まります。
やがてふたりの間には豊彦を含めた5人の子どもが授かります。

幼少の数年間は、豊彦は幸せに過ごしました。
だが不幸が次々と訪れます。
豊彦4歳の時に、父親が風邪と赤痢を併発して、突然亡くなります。
それから数ヵ月後、実母「かめ」が亡くなり、小さかった豊彦と姉「栄」は徳島に戻されて、義母「みち」とその母と一緒に住むこととなります。
ないがしろにされていた正妻の「みち」は、夫の妾の子ども達を押しつけられたので、押さえつけられていた怒りの感情が爆発します。
感じやすい子どもにとっては大変辛い毎日でした。

(つづく)

一万歩クラブ「2月定例会&番外編」

2015年01月28日 | 遊び
2月定例会は絶景の冠雪期にふさわしい「富士山満喫ウォーキング」です。
とき:2月7日(土)
集合:午前10時 JR富士川駅
コース名:「富士山満喫ウォーキング」
コース距離:約9キロ
所要時間:約2時間30分
解散:富士川駅
持ち物:水筒など(お弁当は各人で判断ください…私は新蒲原あたりの○○店目当てかな?)


西部地域の有志から番外編の希望がありました。
噂の「豊橋カレーうどん」を目当てのウォーキングです。
とき:2月28日(土)
集合:JR二川駅(豊橋のひと駅前)午前10時
コース名:春を告げる「うめまつり」と、あったかーい「豊橋カレーうどん」
コース距離:約12.5キロ
所要時間:約3時間10分
解散:豊橋駅
*解散後「豊橋カレーうどん」の名店に入る予定ですので、希望者は連絡ください。
連絡先は hidekiyoshioka@me.com です。

私も初体験の「豊橋カレーうどん」が楽しみです。

どこへ向かうのか

2015年01月27日 | 経済
今あるものが、“いつまでも空気のように当たり前にあると思わないほうがいい”、そう思います。
今あるものを、“一度奪われると、取り戻すのは本当に大変”、そう思います。
でも、気づかないうちにいろいろなものを奪われています。
それが無関心の成せる技です。
だから悪政を敷く為政者は、人々に情報を与えず、人々を無関心に、そして無知に追い込んでいきます。

財政再建途上のギリシャ総選挙で反緊縮派政党が勝利しました。
年金を削減された高齢者や仕事を失った若者たちなど「国民に痛みを強いる改革」への不満を吸収して議席を増やした政党です。
それはそれで国民の不満は分かりますが、ギリシャのリーダーは国家をどこへ向かわせようとしているのでしょうか?

ギリシャ問題をブログ記事から追ってみました。

2009年10月ギリシャ総選挙で政権が交代し、前政権の財政赤字の粉飾が発覚します。
ここから「ギリシャの混乱」(2010,2,17ブログ)が始まりました。
ギリシャは財政再建のために公務員給与カットや、年金支給年齢の引き上げや、増税などの緊縮政策を断行します。
あすは我が身」(2010,5,7ブログ)と心得なければなりません。
EUのリーダーたちはドロールの掲げた統一ヨーロッパ構想こそが、大戦の再来を防ぎ、ヨーロッパの没落を救うただひとつの道だと信じています。
EUやIMFはギリシャ支援を行いますが、それをしなければその構想が崩れてしまうからという「消去法」(2011,7,23ブログ)によるものでした。
ギリシャの混乱は、EU加盟国のみならず、世界の金融市場にも大きな影響を及ぼしました。
円と並んで通貨高に悩むスイスは、無制限の為替介入を行いました。
欧州不安の再燃」(2011,9,7ブログ)です。

あちら立てればこちらが立たず。
理想と現実の狭間に立って、難しい綱渡りが行われています。