大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

政治とはなにか(6)

2016年05月31日 | 政治
265年もの間、徳川将軍家により統治されていた時代を江戸時代と呼ぶが、これは世界的にもまれな長期単独政権である。
そんな日本にも遅ればせながら民主主義の波が押し寄せた。
西欧のように民衆が蜂起して勝ち取った民主主義でないところに現代に通じる問題を感ずる。

日本の選挙権の歴史を見てみよう。
1889年の選挙権は、満25歳以上の男性で、国税を15円以上納めたお金持ちにのみ与えられた。
小学校の先生の初任給が8円の時代、ほとんどの国民に選挙権はなくおよそ1.1%の有権者しか与えられなかったという。
1925年にはさすがに納税条件は撤廃されたが、満25歳以上の男性のみであった。
1945年になるとようやく現在と同じように満20歳以上の男女に選挙権が与えられた。
そして今夏の参院選は、いよいよ満18歳以上の男女に選挙権が与えられる。
問題はこの偉大なるパワーを棄権してしまうことだ。


これまで述べてきたように、政治は権力闘争である。
その権力を合法的に奪えるのが民主主義の大本にある選挙だ。
私たちは法の支配の下で生きている。
そして法は議会でつくられる。

啓蒙思想家のルソーはこう言った。
法律の規定を我々自身が決めるとき、我々は「自由」である。
服従すべき法律が自らの手で制定されたのだから、「市民」にとって「自由」は「服従」と同義である。
「人民」とは、自分たちの法律に喜んで従う「臣民」のことである。

どう考えても現代の労働者は報われていない。
権力闘争の歴史の中で念願であった政権交代を果たしたあの日が懐かしいし、はたまた恨めしい。
あの政権交代は生活者が主権を握るチャンスであった。
もう一度その政権交代の道を歩んで欲しい。
決して難しい話ではない。
労働者が皆でそろって選挙にいくだけでいい。
私たちの権力闘争はただそれだけで勝てる。

神官(聖職者)→貴族(国王)→軍人(武力)→富裕層→→⇒生活者・労働者

(おわり)

政治とはなにか(5)

2016年05月30日 | 政治
こうして封建制度は崩れたが、国家を運営するシステムも機能しなくなった。
富を持つ資本家と富を持たない労働者で構成される社会において、誰からどのくらい税金を徴収するのか、労働者の生存権をどのように保障するのかが問題になっていった。
そこで民主的な手続きである選挙を通じて国家の運営方法を決することとなる。
しかし最初は税金を多く徴収される豊かな資本家など1%に満たない者が選挙権を独占した。
これでは聖職者と貴族にかわって大金持ちだけに選挙権が与えられたにすぎないので、個人の自由と権利の確保は全国民にも及ぶとして、選挙法の改正運動が起きていく。

また産業革命以降の社会的不平等が広がる中で、社会主義思想が誕生し、イギリスでは労働者が連帯する労働組合が生まれた。
本来的には産業革命とともに起こした社会革命は、啓蒙思想が原動力になっており、封建主義から民主主義に移行すれば、人間の尊厳・平等は守られるはずであった。
しかし実際には資本家と労働者の格差は広がるばかりであり、民主的な手続きを経てもこの差を埋めるのは難しいと説いたのがマルクスである。
この理論から、そうであるとするならば資本家(ブルジョアジー)をなくし、すべてが労働者(プロレタリアート)の国をつくれば人間の尊厳・平等は達成できると考えたのがレーニンである。
ここに新しい共産主義というイデオロギーが誕生し、第2次大戦後の冷戦にまでつながるが、共産主義の実験は失敗に終わる。

長い歴史を簡単に説明してきたが、そのなかにあった政治的権力闘争は凄まじい。
ピラミッドの頂点にいて権力を握ってきた存在、それは…こういうふうにデフォルメできないだろうか。

神官(聖職者)→貴族(国王)→軍人(武力)→富裕層

そして下図が現代の姿である。
上流階級のはるか上にいるとてつもない大金持ちの存在をまずは意識しよう。
そして労働者の団結を図れなければこの強敵に打ち勝つことはできないことを知ろう。


(つづく)



政治とはなにか(4)

2016年05月27日 | 政治

中世の封建社会は主君(王)と家臣(領主)の支配=服従関係で成り立っていた。
革命前のフランス社会は図示したような構造で成り立っており、領主の下に「士農工商」の平民が支配=服従の関係で存在する身分制度を持っていた。
しかし新エネルギーの発見と産業革命は根底から社会制度を変えていき、富を持ち裕福な資本家と何も持たないが圧倒的多数の労働者が国家の構成員の中心となっていく。
次第に人々はこれまでの社会構造に疑問を抱き始め、特権身分への課税を要求するが猛反発を受ける。
当時の議会は「三部会」と呼ばれる伝統的な身分制議会で、各身分ごとにそれぞれ一票の権利があるというものだった。
だから聖職者と貴族が反対すれば、「第3身分」の声は届かないことになる。
「第3身分」の人々はその決議に個人別投票を求めたがそれもならず、対抗策として平民と一部の特権階級者とで「国民議会」を設立させた。
「国民議会」は憲法制定に着手するが、これに反対する特権身分と対立しフランス革命がおこる。

革命は成功し、封建的特権は廃止され、「フランス人権宣言」が採択される。
これは「アメリカ独立戦争」と「啓蒙思想」の流れを汲んだもので、近代民主主義の原点ともなっている。
人権宣言は17条からなり、内容は以下を宣言したものである。
・人間の普遍的な自由や平等
・圧制への抵抗権
・国民主権
・法の支配
・権力分立
・私有財産の不可侵

(つづく)

政治とはなにか(3)

2016年05月26日 | 政治
政治体制がどう変わろうとも、国家のもっとも大切な役割は国民を食べさせていくことである。
古代社会や中世社会は農業から上がる作物を分配し、国民を飢えさせないために強権的な支配者を世襲的に置いたのである。
人口が増えていけば領土を拡大し、農地を広げていかなければならないから戦争も必要悪のひとつであった。
隆盛をきわめたローマ帝国の滅亡は戦争の必要がなくなるほど全域への覇権が進んだことも一因であるから皮肉なものである。

人類の歴史を大きく塗り替える出来事が18世紀に起こる。
「産業革命」と「啓蒙思想」の普及である。
中世社会のエネルギー源は木材であったが、豊かだった地中海周辺の森林資源も枯渇し始めた。
イギリスにおいて16世紀後半から燃料となる木材が不足して、その代替として石炭が使用され始めた。
18世紀後半の蒸気機関の発明をきっかけに先進国で次々と産業革命が起きた。
産業革命で起きたことは、化石燃料を利用し機械を使用することで、マンパワーだけでは到底達成できない生産量が実現できたことである。
資本を持ち投資できた者は莫大な富を得て、またその富を再投資してますます巨大な資本家になっていった。
資本も技術も持たない者は、資本家のもとで労働者として働くこととなった。
農業分野にも産業革命の波が来て、それまでのように大量の農夫はいらなくなっていく。
こうして資本家と労働者の数が増えていくと、今までの封建制度も崩れていった。
王様よりも金持ちの資本家が現れてきて、資本主義が台頭し、封建制度から民主主義に移行していくのである。
そんな産業革命のうねりのなかで「啓蒙思想」が生まれた。
キリスト教的世界観や封建的思想を批判し、人間性の開放を目指す啓蒙思想は、絶対王政打倒の市民革命にもつながった。
「アメリカ独立戦争」や「フランス革命」である。

「啓蒙思想」の「蒙」とは無知蒙昧(ものごとに暗いこと)の蒙であり、「啓」とは啓(ひら)くことで、無知を有知に変えるという意味である。
福沢諭吉の「学問のすすめ」もこの啓蒙思想の普及本である。

(つづく)

政治とはなにか(2)

2016年05月25日 | 政治
政治という言葉を私たちはなんの意識もなく使っているが、あらためて「政治とはなにか」を突き詰めて考えると難しい。
古代社会からこの現代にいたるまで「政治」が存在しなかった時代はないが、「政治」のスタイルやルールは異なっていた。

世界最古の「政治」スタイルは、古代社会の「神権政治」だ。
神権政治とは神官が神の代理人として神の権威を利用して行った政治のことである。
さまざまな都市が覇権をめざし領土を拡大し王国が誕生する。
その頂点に立ったのが王であり「王政」を敷いて社会を統治した。

次に登場するのが王様を追放して始まったローマの「共和制」である。
共和制というのは王などの国家元首が政治を決定するのではなく、民が統治上の最高決定権を持つという政体である。
しかし実際には貴族が政治を支配する「貴族共和制」であった。
ローマ共和国は地中海世界に領土を拡大し、ローマ社会に多くの富をもたらした。
一方で軍役に回される平民の生活は良くならず、貧富の差が拡大し社会は荒廃していき内乱の時代を迎える。

内乱時代を乗り越えて、地中海全域を制覇して権力を握ったローマはその頂点に皇帝をおく「帝政」を敷き「ローマ帝国」時代が開かれる。
ローマ帝国の五賢帝時代までの200年間はパクス=ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれ、優れた5人の皇帝により全盛期の時代を迎えた。

「神権政治」→「王政」→「共和制」→「帝政」と時代と共に政治スタイルは変わっていった。
どの時代でもそうであるが、ローマ帝国も同様で、その後政治が乱れローマ帝国は混乱期に入ると皇帝の権威は失墜していく。
その権威を回復するために「専制君主制」を始めるが、領民に対して皇帝崇拝とローマ宗教の信仰を強要したため、キリスト教徒が厳しく反対した。
キリスト教の誕生と浸透が社会に大きな影響を及ぼし始めたのである。

これらの動きはまた統制する力の変遷でもあるが、統治される側(民)は、世襲制・身分主義・農本主義という封建制度に縛られたままで何も変わらなかった。
それを大きく変えていくのは18世紀におこった「産業革命」と「啓蒙思想」である。

(つづく)