大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その27)

2016年04月28日 | 労働者福祉
伝えるということは今も昔も組織活動の基本にあります。
しかしこの簡単そうなことが実は一番難しいんですね。
それは組織に限らず、親子間でも夫婦の間でも、友人間でも仕事仲間でも同様です。
なかなか伝わらないからと言ってあきらめるとコミュニケーションはゼロになります。
だから継続することが大切です。

私の育った小糸製作所労組では、専従者を2名置いた昭和39年(1964年)8月28日から現在に至るまで、日刊機関紙「きずな」を毎日発行しています。
それが当然のことと思っていた新任役員の私の日課は、先輩の書いた「きずな」を毎日毎日印刷することでした。
翌日の朝になると始業前に全職場に配布しますから、どんなに遅くなっても朝までには2000部あまりの機関紙印刷を終えねばなりません。
その当時はガリ切りは機械でやってくれましたが、以前は手作業のガリ切りでしたから大変な苦労だったと思います。
初めて「きずな」の原稿書きをやらされたときは緊張しました。
下手な字で書いた原稿を赤ペンで何回も何回も修正されて完成した「きずな」は今思えばとても人前に出せるような代物ではありませんでした。
何十枚も書いていくうちに組合員が読んでくれるような記事(会社からは嫌われたりもしましたが?)を書けるようになると楽しくなってきます。
毎日毎日続くこの「きずな」は、会社との強力な交渉ツールにも育っていきました。

連合静岡時代は「南町の独り言」というブログを始めました。
土日も含めて毎日書こうという決意で始めましたが、お酒が過ぎると更新できない日も多くありました。
そんなブログを参考にして、「地協ブログ」や「スタッフブログ」もいつしか生まれます。
06年5月13日ブログ07年1月24日ブログ10年1月25日ブログ

認知度を向上させようという意識から事務局内に「認知度向上PT」が立ち上がり、ラジオ番組「わたしたち働く人の味方です」がスタートしたり、県内各地協と連携した「労働相談街宣活動」も活発になってきました。
すべては“伝える”という意識の向上から生まれたものです。
10年1月13日ブログ

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その26)

2016年04月27日 | 労働者福祉
2005年11月、湖西市で痛ましい事故が起きました。
交差点で信号無視の車に正面衝突され、同乗していた2歳の理子ちゃんを失った山岡さんの家族は悲嘆にくれます。
ところが犯人は日系ブラジル人であったため、警察が拘束する前にブラジルへ帰国してしまいました。
亡くなった理子ちゃんの墓前に一度も詣でることなく…。

日本とブラジルは、犯罪人引渡し条約がなく、さらにブラジルでは、ブラジル国民はブラジル国内にいる限り他国の司法機関に訴追を受けることがない、と憲法で決まっています。
ですから帰国した容疑者は、何の処罰もされず、何事もないようにブラジルで暮らしていけるのです。
愛児を失った山岡さんご夫妻は、この不条理に立ち向かうべく、犯罪者引渡し条約、そして代理処罰を実現すべく署名活動を始めたましたが、目標とすべく10万筆には遠く届いていませんでした。

そのことを私が知ったのは親交のあったアスモ労組元委員長の古沢氏からの電話です。
連合静岡の力を貸してほしいと頼まれてまずは平野会長とも相談をしました。
その際に「連合の署名活動」についてのルールを知るのですが、痛ましい事件は私たちの琴線にふれるものでもありましたから、ご家族とも連絡を取って協力していく方向で進めることを確認しました。
そして06年5月執行委員会で署名活動の承認をいただき、全県下で署名活動を展開することとします。
加えて連合東海ブロックにも提案し共感をいただき、東海ブロック全体でも署名活動を協力いただけることとなりました。

その結果、連合東海ブロック全体で29万人の署名が集まり、山岡さんの手元にはなんと66万もの署名が寄せられたのです。
06年5月22日ブログ
そしてこの連合静岡の運動成果は思わないところに現れました。

静岡新聞の9月9日読者投稿欄「ひろば」で大変嬉しい投書を読みました。
主題は「犯罪阻止願う66万人に拍手」です。
ブラジルの犯罪人引渡し条約締結運動で連合静岡が「連合東海ブロック」にも呼びかけて29万人余の署名を集めた活動に対しての投書ですが、本文の一部を紹介してみます。

『連合東海ブロックは業種を超えた人たちの協力と行動の結果で、その組織力の強さをまざまざと見せた。
最近の労組の組織力低下はひどく、求心力を失い「労組はその原点に立つべき」だともささやかれ、安全安心の職場も問われている。
連合29万人の署名に拍手を送りたい。』
06年9月10日ブログ

どんな壁でも必要とあらば乗り越えられることをふたつの署名活動で勉強させられました。

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その25)

2016年04月26日 | 労働者福祉
署名活動は地味な運動ですが、集まった署名数によっては大きな成果を生み出します。
昨年末から今年にかけてみなさんに協力願った「給付型奨学金創設と無利子型給付金の拡充」を求める署名活動では、全国で300万筆を越える署名が集まり、とうとう政治を動かし始めました。
2016年4月1日ブログ
このように有効な署名活動ですが、組織的に取り組もうとすると大きな壁があります。
2006年、その壁に連合静岡は挑戦しました。

ひとつは「クレ・サラ高金利引き下げ」署名活動。
もうひとつは「ブラジル政府との犯罪人引渡し条約締結の署名活動」です。
奇しくもふたつの署名活動は、高いハードルを乗り越えて、06年5月17日の執行委員会で承認されます。

もうひとつの偶然は、ふたつとも「連帯と協同」の手順に沿って展開されたことです。

連合の署名活動は基本的には中央からの決定と指示がなければできない仕組みです。
当時「クレ・サラ高金利引き下げ」署名活動は、中央段階では産別によって取り組み方針がまちまちでしたから、連合静岡として組織一丸となって進めることは困難でした。
しかしクレ・サラ問題は日常的に起こっていましたから、なんとか全県的な運動にしたいと考えていました。
一方、連合方針には署名活動について「地域全体で合意できる署名活動」については、地方連合の決議で展開可能という項目もありました。

このクレ・サラ問題に関しては、県労福協の加藤清氏(当時事務局長)や労金の勝又長生氏が中心となって、静岡県に「クレ・サラ被害をなくす県民会議」をつくろうと呼びかけ始めておりました。
そして「県労福協」「連合静岡」「県弁護士会」「県司法書士会」「労働金庫」「全労済」「県生協連」の7団体が趣旨に賛同し、06年5月「クレ・サラ県民会議」が誕生します。
これで立派な地域共通のテーマとなり、連合静岡では署名活動の取り組みに全産別組織が取り組むこととなりました。
全国でも群を抜く署名が集まり、全体では300万筆を越えて、総量規制の法律が誕生します。
06年5月29日ブログ7月25日ブログ10月31日ブログ
当時の街頭署名活動の写真です。私も若かったですね~懐かしい。


(つづく)

清水港の一万歩

2016年04月25日 | 遊び
23日土曜日は恒例の一万歩クラブ。
今回のコースは名勝三保の松原を訪ねる約13キロのタフなコースでした。
昔は渡し船、今は水上バスで往復の小旅行という風情も楽しみました。
集合写真は「カナサシ重工」のクレーンをバックに撮りましたが、一昔前は造船業でにぎわったこの地域も寂しくなりました。

しかしゴール後、河岸の市で行った反省会では、清水ならではの海の幸を堪能し大賑わいです。
タフなコースで消費したエネルギーはまたたくまに充填されました。

5月定例会は、14日午前10時JR東静岡駅集合で、11キロのコースを歩き「トレインフェスタ2016」を楽しみます。
ふるってご参加ください。

私の運動史(連合静岡時代 その24)

2016年04月22日 | 労働者福祉
連合静岡でも「個別賃金分析プログラム」を利用した「賃金ミニマム運動」に舵を切りました。
導入直後は6000人前後の個別賃金把握でしたが、賃金データ提出単組へプログラム改良版を配布することとした2006年は1万4292人の個別賃金が集約できました。
06年5月には連合本部にも理解を求め、連合東海ブロック(静岡・愛知・岐阜・三重・長野)でもこの運動に参加していただけるようになりました。

連合静岡ではそこから個別賃金の集約が年を追うごとに増えていきました。
06年1万4292人→07年2万2722人→08年2万2954人→09年2万5308人→10年2万7291人。
2010年には3役会議で「民間全単組の取り組み拡大に向けて」と題して本音の議論を行いました。
一部産別では本部の了解が必要とのことでしたから、連合静岡として連合本部と話をして理解を求めていきました。
しかし様々な理由から機関決定はできませんでした。
それでもその思いや経過は執行委員会でも報告しましたので、11年2万9338人→12年3万2115人と集約数も増えていきました。

ところが3万人を超えるとプログラムの処理能力が足りず、データ解析に時間がかかりすぎて肝心な時に使えないという不具合が出てきました。
改良するにはプロの手が必要なため本部に資金援助を求めましたがうまくいかず、東海ブロックの仲間に相談して、東海ブロックの繰越金と各県連合会の資金持ち寄りで「個別賃金分析プログラム」をリニューアルいたしました。
これにより100万人分のデータ処理が瞬時に可能な「個別賃金分析プログラムVer2.0」が完成します。

これ以下では働かせないという「賃金ミニマム運動」はこの「個別賃金分析プログラムVer2.0」によって大きく変わる可能性があります。
「最低賃金運動」から始まって「賃金ミニマム運動」「地域ミニマム運動」、そして2010年の「民間全単組の取り組み拡大に向けて」の議論を経て、2013年には「組合員20万人の賃金地図をつくろう」という旗が掲げられました。
この地図が完成した時になにが起こるでしょうか?
賃金データを各組織にフィードバックするとともに、データを開示することで広く県内の雇用社会に影響を与えることができます。
労使交渉において根拠を明確にした要求組立もできますし、労働組合がないところでもそのデータを使って低賃金の是正が図られるかもしれません。
まだまだ道のりは険しいかもしれませんが「継続こそ力!」です。

(つづく)