大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

県労福協第54回総会

2016年06月07日 | 労働者福祉
2016年6月7日(火)13時、クーポール会館にて「県労福協 第54回定時社員総会」が開催されました。
私にとって現役生活最後の大会です。
冒頭でこうご挨拶申し上げました。

「…こうして1年に1回、前年度の活動報告と新しい年度の活動計画を発表いたします。
当然のように現在あるのは過去のおかげであることを知り、明るい未来をつくるために計画を立て一歩を踏み出します。

1945年、私たちは敗戦を迎えました。
GHQの民主化政策により、戦後間もなく労働組合が次から次へと生まれていきます。
当時の労働者の地位は低く、借金をしたくても銀行は見向きもせず、万が一のことを考えて保険をかけたくても保険金が高すぎて手が出ません。
働く仲間たちは組織やイデオロギーを乗り越えて、「福祉はひとつ」を合言葉にとんでもないことを考えました。
それが労働金庫や全労済や消費生活協同組合のスタートでした。

1950~60年代の先人たちのエネルギーにはもの凄いものがあります。
静岡労金の専務を務めた竹本正晴さんは、ゼンセン同盟の書記さんでした。
大変な勉強家で彼の読んだ大量の本は、後に「竹本文庫」として静岡労金に寄贈されました。
とにかくケチで有名でしたが、必要な先行投資にはおしげもなくお金を使いました。
全国に先駆けてコンピューターを導入し、保証協会の設立や新たな事業団体をいくつも立ち上げました。
いつも大量の資料を風呂敷に包んで県内を駆け回っていたといいます。

静岡労済の初代理事長であり県労福協の初代会長であった木村愛一さんは、小学校の先生でした。
県教組の委員長も務めた方で、学生協の基礎を築かれました。
僻地校も含め県内すべての学校に、自らライトバンに乗ってキャラバン隊として回り続けたそうです。
月曜日に家を出て土曜日に帰ってくるという生活を6年間も続けました。

こうした先人たちのうしろに、また多くのリーダーが育ち時代を築いていきました。
そして1989年連合静岡が誕生し、静岡労金も全労済も生協も大きく育ちました。
しかし現在、私たちが目指した「働く者の生活が守られた福祉社会」は実現できておりません。
豊かになるにつれいつしか私たちは原点を忘れてしまい、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の悪しき風潮に染まってしまいました。
置いて行かれた未組織労働者の数は増え続け、とんでもない格差社会が登場してしまいました。
このままではいけないと、2003年「連合評価委員会最終報告」が、2009年「労福協の理念と2020年ビジョン」が出されます。

県労福協ではこれを受けて、2012年12月「労働者自主福祉シンポジウム」を開催します。
これを契機として、県労福協の役割を再定義し、現在の活動計画に至っています。
まだまだ先人たちの苦労には及びませんし、ようやくその足元に立ったという感じです。
どうぞこれからも「働く者の生活を守る」という原点を忘れずに、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の悪習に染まらぬよう、勇気をもって新しい一歩を歩み続けてほしいと願います」

みなさんにも長い間、お世話になりました。
これからは組織を離れた自由な個人の立場で新たな一歩を踏み出して、みなさんにお世話になった何十分の一かもしれませんが、ご恩返しをしていきたいと思います。
ある方に問われました。
「あなたは本当はどう生きたいんですか?」
自問自答の長い日々が続いて、わたしの出した答えはこの3つでした。

「自由の砦を守り続けたい」
「働く人たちの味方であり続けたい」
「助け合いと支えあいを実践し続けたい」
どこまでできるか分かりませんが、私自身も新たな一歩を勇気をもって踏み出してまいります。

それではごきげんよう。
ほんとうにありがとうございました。


協同労働の協同組合法案に期待する

2016年05月19日 | 労働者福祉
連合会長や中央労福協会長を務めあげた(故)笹森清氏の念願であった「協同労働」に法人格を認める法案が成立する可能性が高まっている。

この法案は超党派による議員連盟の手によって次期国会で提案される。

協同労働の協同組合は、個人が協同で出資し、経営し、働く協同組合であり、組合員の自由な意思に基づき、協同で決定した「就労規定」によって事業に従事する。
似たような法人でNPO法人があるが、NPO法人には出資や分配の制度がないから、自らが出資し、自らが働くという働き方はできない。
この法案が成立すれば、出資した個人個人が経営者であり労働者であるという「協同労働」の世界が一気に広がり、特に地域密着型の協同事業が起業しやすくなるだろう。

しかしこの法案には労働界から異論が出る可能性がある。
それは気をつけないと悪用される恐れがあるからだ。
出資して働けば、労働者であっても経営者だから、原則的には労働法の適用から除外されてしまう。
たとえば労働基準法以下の労働条件で働いても許されることになる。
これらの問題をカバーするために法案では、労働条件は「就労規定」で定めることになっているが、労基法以下の場合は労基署が変更を命ずることができるとなっている。
細かい部分までは示されていないが注意深く見ていく必要もある。
だからといって評論家にならず、むしろ私たちが先頭に立って今から準備を進め「協同労働」の正しい姿を示していく覚悟を持ちたいと思う。
高い志を持って、新たな社会を築いていきたい。

法案をつくって魂を入れるのは私たちだ。
笹森さんはきっとそういう姿を草葉の陰からみたいはずだ。


私の運動史(連合静岡時代 最終回)

2016年05月17日 | 労働者福祉
「JAM静岡」時代に思いが残るとしたらそれは「教育活動」です。
連合静岡事務局長に就任した2005年に掛川に3階建ての「JAM静岡会館」が完成します。
この会館を私たちは「人づくり会館」と名付けました。
入れ物だけつくって魂を入れられなかったことを悔やみながら私はJAM静岡を去りました。

私の連合静岡時代の最後の仕事も「教育」でした。
2011年1月の賀詞交歓会の新年のあいさつでも「今年は教育の年だ」と誓っています。
1月7日ブログ
第22回定期大会ではこんなあいさつをしています。
『…希望をつくりだすためには、「自らが考え、自らが決定し、自らが実行する」という自力と、「思いを共有する人たちとヨコの連携を図る」協働の力を高める以外はないと思います。
…最後は「教育機能」です。
「政治・政策機能」も「組織対策機能」も結局、人の手によって為されます。
やはり最後は「人の教育」です。新年度より新たに2つの挑戦をいたします。
ひとつは「連合未来塾」。
もうひとつは人財育成web「ワーカーズ・ライブラリー」の開設です。
労組リーダーの育成だけでなく、一般組合員や未組織労働者のみなさんの勉強の場にもなるような素晴らしいものをつくっていきたいと燃えています』

また第22回定期大会第1号議案「実現に向けた行動指針」でも、具体的に3つの(「相談対応スキルのアップ」「オルガナイザーの育成」「コミュニケーション能力アップ」)「リーダー教育」を訴えています。
これまでにないような「リーダー教育」をと工夫し「連合未来塾」がスタートしたのは2012年5月でした。
10年12月29日ブログ11年5月17日ブログ12年3月24日ブログ5月13日ブログ

「連合未来塾」は今でも継続して開催されており将来が楽しみです。
その後、県労福協に軸足を移した私の最後の仕事も「語り部1000人PJ」という「教育」の仕事です。
若かりし頃夢中になった少林寺拳法で教えられたことが、最後まで私の中心にあるような気がします。

「人・人・人・すべては人の質にある」

(終わり)



私の運動史(連合静岡時代 その32)

2016年05月16日 | 労働者福祉
「教育の再構築」を目指して事務局・3役会を中心に議論を重ねました。
その結果、見えてきたことがいくつもありました。
大単組においては、一般組合員から職場委員、執行委員、そしてトップリーダーに至るまでの教育体系も整っています。
しかし中小労組では、なかなか教育活動まで手が回りません。
労働組合がない人たちはその機会すらありません。
「なんとかしなくては…」「勉強したい」と思うリーダーや勤労者のために、研修のツールとしての“データーベース”をつくれないものかとの思いから、10年12月10日「人材育成システムPJ」初会合が持たれました。

連合静岡3役会議構成組織から8名、福祉事業団体から5名、雇用能力センター・富士社会教育センター・労科研から1名ずつ、連合静岡からの2名を合わせ18名の委員が集まりました。
会議では海のものとも山のものとも分からない、まるで雲をつかむような話だと集まった委員から言われたことを思い出します。
こうして人材育成のための“研修ツールの棚”をネット上につくろうという活動が始まりました。
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そして2012年年末に「Workers Library」が誕生します。



(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その31)

2016年05月13日 | 労働者福祉
「連合評価委員会 最終報告書」では、労働運動の現状について、このままでは労働運動の社会的存在意義はますます希薄化し足元から崩壊してしまうという懸念から、相当強い警告を発しています。

「…労働運動は量的危機とともに質的危機にもさらされている。
冷戦の終わりとイデオロギーの終焉により、労働運動は理論枠組みを喪失してしまった。
働く者としての意識が希薄化し、働く者が働く者としての意識を持つことが、人間として一歩前進する思考であるということを、否定する雰囲気さえ醸成されている。
これまで労働の成果である所得の分配において「にらみ」をきかせてきた一種のカウンターパワーである労働組合は、時代の先頭を走っている存在ではなく、時代のしんがりにかろうじてついているようなイメージへと反転してしまっている。
それも労働組合が、広く社会に受け入れられる新たな枠組み構築に至っておらず、依拠する基盤が曖昧になっているため、強力な運動を展開できないでいるからである。
労使対等という意識も希薄化し、労働組合の原点である「雇用重視」の防波堤さえも崩されようとしている。
こうした労働組合の危機の背景を真摯にみつめると、労働組合役員と職場の組合員との絆が細くなっていることを指摘できる。
さらに、労働組合(関連)組織自体が不祥事を起こしているなど、組合自身に倫理観が欠如しているとみなされる事実もある。
企業不祥事に際しても、労働組合のチェック機能の弱さがみられ、カウンターパワーとしての組合が機能不全に陥っている。
このように、労働組合活動が危機的状態に陥っている背景には、社会状況の変化という外在的領域のみならず、労働組合の内在的問題も山積みしている」

さてこの文章を読んでみなさんはどのように感じるでしょうか?
当時連合静岡の事務局内では折に触れ、労働組合役員の力量低下について話し合いました。
たとえば「ユニオンショップとオープンショップ」の違いについて、たとえば「団体交渉と労使協議」の違いについて、たとえば「不当労働行為とはなにか」について、お酒の席でわざと聞いてみると分からない役員がいる話などなど。
連合発足前の澤崎副事務局長はゼンセン同盟でしたから、四国にある研修センター(センターを知る人は虎の穴と呼んでました)で缶詰教育を受けた経験があります。
私も全金同盟時代には同様の教育を何回も受けさせられましたし、どこの単組の役員もそれなりの教育を受けることが必修でした。
それは競合する総評系労組も同様でした。
お互いが切磋琢磨する競争の時代でしたから、怠ければ労働運動の競争に負けてしまいます。

昔の話をすると嫌われますが、私たちの出した結論は「教育の再構築」でした。
そして2010年3月から関係組織のみなさんに相談をかけていきました。
その時のたたき台資料がこれです。


(つづく)