波佐見の狆

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経営者・清盛

2012-09-28 13:48:17 | 平清盛ほか歴史関連

経営者・平清盛の失敗という本を読みました。

著者は、ミリオンセラーとなった「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」の山田真哉氏。昨年12月の出版でした。

そもそも私がこの本を書いたきっかけは、某国民的ドラマのプロデューサーから、『平清盛を主役にしたドラマをつくるので、清盛に関する経済面の知識を教えて欲しい。』という依頼を受けたことでした。」とあるので、いっしゅん、なんだNHKが売れっ子ライターに大河の宣伝本を書かせただけじゃないの、、と思ったのですが・・・著者のメッセージをさらに読んでみて、これはぜひ読まねば!と思ったのです。

著者は、平家滅亡を、日本の歴史上最大の経済ミステリーだと捉え、①「『平家は貿易で巨万の富を得た』というが、日宋貿易は本当に儲かるのか?」、②「政府が反対したのに、なぜ外国貨幣の『宋銭』が普及したのか?」、③「莫大な財力をもっていた平家がなぜあっさり滅亡したのか?」の3つのテーマのもと、経済的ビジネス的観点から平家の興亡を解き明かすことに挑みました。これは、従来の数多くの平家研究本にはなかった新鮮な視点ではないでしょうか。

私も、ドラマが最終章に向かっていくにつれて、なぜこの人たちが滅亡しなければならなかったのだろうと、ますます気になっていました。 驕り高ぶって、どうせ源氏の反撃なんかなかろうと油断して、武士としての鍛錬を忘れ公家化してしまったとはいえ、彼らは何にも悪いことはしていないのです。日宋貿易で一門が巨万の富を得たそうですが、それは決して彼らが私利私欲に走ったということではなく、新たな国づくりをするという究極の目的のための足固めでしたからね。。。

重盛、清盛が亡くなり、、リーダーシップ無き棟梁宗盛のせいで、源平合戦をうまく切り抜けられなかったのは史実としても、それだけの経済基盤を作っていたのなら、富をばらまいていくらでも全国の豪族を味方につけられたのではないの?実際、貯め込んだ財貨はどこへ行ったの?後白河と頼朝が全部持っていっちゃったのかなぁ・・・?音頭の瀬戸、厳島神社、大輪田の泊。。。といくつもの大工事に私財を投げうったため、財産が目減りしていったのは想像がつきますが、貿易でどんどん補っていったのではなかったの? 

そもそも、蓄えたというけど、何を?貨幣?物?

ちょうどこういう疑問が私の中で大きくなっていたので、この本に飛びつきました。そして、読んでしまって、私の疑問はすっきりしたのです!

具体的にここに書くのはやめておきましょう。皆さんも買ってのお楽しみ。

ともかく・・・・武人としてだけでなく、経済人・経営者としても、卓越した才能とセンスをもっていた清盛をもってしても、予測できなかった日宋貿易の盲点、社会の変化が、一門の資産の価値を大きく下げてしまった。。。とだけ言っておきましょうか。

ドラマ第1話冒頭で、

海に生き、海に栄え、海に沈んだ巨大な平家という一門。」というナレーションがありましたが、この表現を模して言うなれば、

宋銭に生き、宋銭に栄え、宋銭ゆえに滅びた」としても、間違っていないと、今は思うのです。

ところで、この本のなかで、「平家財閥」という表現が使われていますが、実際、平家は住友財閥の祖先にあたるのだそうです(こちら)。

最後に、先週の第37話についてちょっとだけ・・・・

重盛の長男維盛(これもり)も二男資盛(すけもり)も、弓矢の修練には身が入らず、歌舞音曲のほうが楽しいというのですが、なんだか二人ともいかにもボンボンですね・・・・資盛に至っては、鷹狩の帰りに摂政藤原基房の輿と出会っても、相手がだれであろうと下りないと言い張って、自分は平家棟梁の子で平相国清盛入道様の孫なんだぞーーと威張る。これって、まったくバカ息子ですよね。そしてこのバカ息子の愚行を、「そなたが悪い」とぴしゃっと叱りつけ、断固として筋を通した重盛は、その信念を、時忠により踏みつけにされたことを知り、その背後に父の大きな影を感じ、いっそう苦悩を深める・・・写経を破き机をひっくりかえして怒り悲しむ様は、あの崇徳院の慟哭すら思い起こさせます!

このドラマの脚本では、重盛の潔癖ぶりを際立たせるために、このような解釈になっていますが、史実では、基房に報復したのは確かに重盛だったとのことで、彼は、冷静沈着で温厚な反面、意外とそのような攻撃的なところもあり、清盛がフォロー(尻拭い??)していた、、といった意味のことも言われています。それを知って、重盛かわいそうとばかり思っていた私も、ちょっと安心しました~。やっぱり、やるときゃやるんだぁ!キレると凄かったのでしょうね・・・

それから、資盛が、相手が摂政であろうと自分は道を譲らないとか、清盛の孫だとか言ったというのも、史実ではなかったのでは・・・(重盛が息子らをそんなバカ殿下に育てるとは思えません)。ちなみに、「新・平家物語」の原作である吉川英治歴史時代文庫50『新・平家物語(四)』では、資盛は笛の稽古の帰りで、真夏の非常に蒸し暑い日で、両家ともイライラしながら家路を急いでいたという設定です(鷹狩の獲物を早く親に見せたくて、、、というのは、平家の驕りを象徴する気の利いたスパイスか。。。)しかも、資盛自身は何もいわず、供の者たちが、「殿下の御出なるに」とか「こちらは、平相国のおん孫」とか言って騒ぎ、資盛は泣きじゃくるばかり、といった話になっています。

この殿下乗合事件(てんがののりあいじけん)からわずか15年後・・・資盛は、叔父、弟、従弟らと共に、壇ノ浦の波間に消えました。 

追記)

本日、NHK広島放送局制作による、「瀬戸内海 清盛500キロクルーズ」という特別番組があります。2時間枠とのことで、見応えありそう!

BSプレミアムにて、午後7時からで~す。