公園にマンサクの花が咲き始めた。
この花が咲くと「そろそろ春も近いなあ・・・」と思う。
黄色いヒモ状の花がクルクルと巻いてユーモラスである。
早春、他の花に先駆けて咲くことから
東北弁の「まんずさく」が訛ったものだと言われている。
東北弁というと、昨夜、話題のドラマを見た。
震災3年を前に脚本家・山田太一が描いた
テレビ朝日の2時間ドラマ「時は立ちどまらない」である。
山田さんが「今だからこそ描けるドラマがある」と言っていたように
震災3年という時の流れの「無常」と「希望」を
結婚を機に「親戚」になるはずだった2組の家族を通して描いた力作だった。
東北の海沿いの街で暮らす浜口家と西郷家。
震災後の津波で漁業を営む浜口家は新郎を含む3人が亡くなり
家も漁船も生活のすべをて失った。
一方、高台に住んでいた西郷家はまったく被害を受けなかった。
ドラマでは「結婚寸前」だった両家が
その後、さまざまなすれ違いや対立を経て再生に向かう姿を
いくつものエピソードを交えながら丁寧に描いていた。
山田さんらしい想像力だなあ・・・と感心したのは
家を失った浜口家の家族が高台の西郷家に身を寄せる場面。
西郷家の主人・良介(中井貴一)にとっては
当然の配慮であり精一杯の思いやりのつもりだったが
その夜、浜口家の祖父・吉也(橋爪功)は突然の激情にかられ大暴れする。
やがて息子の克巳(柳葉敏郎)も加わって
お膳をひっくりかえし、手当たりしだいにものをぶつけてガラスを割るなど
お世話になっている西郷家に恩を仇で返すような所業。
良介が思わず「出て行ってくれ!」と怒り出すのも当然のことだった。
持って行き場のない怒りと無念。
同じ被災地に住みながらも天と地ほど違う互いの境遇。
吉也の感情が一気に爆発する。
こっちはなんにもない。ありがとうと言うしかない。
網もロープも船も・・・女房に嫁に孫まで持って行かれた。
それ、俺のせいか、息子のせいか!
そんな事件があった後、浜口家は西郷家との関係を拒絶する。
被災地ではそうしたやり場のない憤りを
けっして口には出さず、誰かにぶちまけることもなく
じっと胸に抑え込んだまま3年目を迎える人は多いのではないだろうか。
ドラマがその人たちの思いを代弁する・・・
などと言うと傲慢だが、少なくともドラマでしか語れないことはあると思う。
公園では日陰にまだ雪が残っている。
東北の被災地はまだまだ深い雪の中だろうか。
その雪景色の片隅に「まんずさく」の花は咲き始めているのだろうか。
私は3年たった今も被災地に足を運んでいない。
震災については語る資格がない。
貧乏ヒマなしのせいだと言い訳しながら
結局、その「覚悟」と「勇気」がないだけではないだろうかとも思う。
春になったら訪れいてみたいと思う。
そして、何かを書いてみたいと思う。