朝方まで残っていた雨も午前中にはあがり
久しぶりに公園へ。
まだ涼しさの余韻があって走りやすい。
蝉時雨は相変わらずだが
「つくつく法師」の声が目立ってきた。
そう言えばこんな俳句があった。
つくつく法師 なく新学期 始まれり
我が家の息子も明日から新学期だ。
いつものジョギングロードにはキバナコスモスが風に揺れている。
木立の間に栗のイガが見えた。
まだ青いけどこれが色づく頃には本格的な秋だ。
地面にはキノコも顔を出している。
秋はキノコの季節でもあるけれど、これは食べられるのかな?
秋バラも咲き始めている。
ふと見上げると葉っぱの間に何やらまるい果実が・・・ハナモモの実だ。
春先にピンクの美しい花を咲かせる。
熟した実がいくつも落下している。
拾っていく人をあまり見かけないのは、食べてもマズイのだろうか。
手にとって匂いをかいだら、まぎれもなく甘酸っぱい「桃」の香りがした。
公園内の水田の稲がみごとに色づいている。
近隣の小学校の生徒たちが賑やかに「田植え実習」をする田圃だ。
五月の田植え直後にこの前を通った時はこんな状態だった。
早苗田の上をツバメがスイスイと飛び回っていたのを覚えている。
それがわずか3ヶ月でみごとに成長したではないか!
まさしく「豊作の秋」を予感させる。
東北の被災地はほとんど「耕作放棄」だと言うのに、ちょっと複雑な思いがよぎる。
その稲穂を前に何やら一人で「秋めいて」いるパートナー。
夏休みが終わる時は誰しもこうだったな。で一句・・・
稲の秋 早やたそがれて 新学期 (杉作)
「実りの秋」にふさわしいスケッチを探してみた。
去年、山梨県の勝沼で描いたブドウ畑。
山の斜面が一面のブドウ畑で「巨峰」や「ピオーネ」をたらふく食べたっけ。
久しぶりに公園へ。
まだ涼しさの余韻があって走りやすい。
蝉時雨は相変わらずだが
「つくつく法師」の声が目立ってきた。
そう言えばこんな俳句があった。
つくつく法師 なく新学期 始まれり
我が家の息子も明日から新学期だ。
いつものジョギングロードにはキバナコスモスが風に揺れている。
木立の間に栗のイガが見えた。
まだ青いけどこれが色づく頃には本格的な秋だ。
地面にはキノコも顔を出している。
秋はキノコの季節でもあるけれど、これは食べられるのかな?
秋バラも咲き始めている。
ふと見上げると葉っぱの間に何やらまるい果実が・・・ハナモモの実だ。
春先にピンクの美しい花を咲かせる。
熟した実がいくつも落下している。
拾っていく人をあまり見かけないのは、食べてもマズイのだろうか。
手にとって匂いをかいだら、まぎれもなく甘酸っぱい「桃」の香りがした。
公園内の水田の稲がみごとに色づいている。
近隣の小学校の生徒たちが賑やかに「田植え実習」をする田圃だ。
五月の田植え直後にこの前を通った時はこんな状態だった。
早苗田の上をツバメがスイスイと飛び回っていたのを覚えている。
それがわずか3ヶ月でみごとに成長したではないか!
まさしく「豊作の秋」を予感させる。
東北の被災地はほとんど「耕作放棄」だと言うのに、ちょっと複雑な思いがよぎる。
その稲穂を前に何やら一人で「秋めいて」いるパートナー。
夏休みが終わる時は誰しもこうだったな。で一句・・・
稲の秋 早やたそがれて 新学期 (杉作)
「実りの秋」にふさわしいスケッチを探してみた。
去年、山梨県の勝沼で描いたブドウ畑。
山の斜面が一面のブドウ畑で「巨峰」や「ピオーネ」をたらふく食べたっけ。
九月始まりの国では、秋の季語かな(笑)。
これは水原秋桜子の有名な句ですが。確かに「新学期」は春の季語です。
この場合は「つくつく法師」が季語で新学期は「二学期」という程度の意味なんでしょうねえ。
言われてみれば本当にそうですよね。別に急に涼しくなったからという訳ではなく、毎年、決まってそうですよね。うちは14階なんですが、ちょっと耳を澄ますとベランダの鉢植えの隅で虫の声がしています。いったいどこから来たのか、まことに不思議です。