まろの公園ライフ

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新宿で写真を見る

2012年03月28日 | 日記

久しぶりに新宿の雑踏を歩いた。

いつ来ても落ち着かない。
先を競うかのように誰もが遮二無二なって歩いている。
公園育ちの田舎者はいつだって途方に暮れる。

せっかく来たのだから写真を撮ろうと思うのだが
阿鼻叫喚の雰囲気に気圧されて何を撮っていいのかわからない。
そうそう、写真を撮りに来たのではなかった、写真を見に来たのだった。

高野フルーツパーラーの4階にある「コニカミノルタプラザ」。
先日、私が愛読するブログの作者が記事の中で
友人の「写真展」を紹介されていて大いに興味を持った。
ご本人の写真も素晴らしいが、その人が推薦する写真とはどんなだろうと思ったのだ。



大倉将則さんという方の写真展だ。
写真家・土田ヒロミ氏に師事するカメラマンで
写真事務所「ニルヴァーナ」のスタッフとして活躍しておられる。
一時期、ご病気で第一線を離れておられたそうだが
再起されてふたたび写真の世界に戻って来られたと言う。
そのことにも興味を持った。

タイトルの「PRIMROSE」は春に真っ先に咲く花のことだと言う。
と言っても、花の写真ではない。
パンフレットの写真は闇を焦がす不気味な業火と
その炎の中に浮かび上がるすさまじい数の群衆の光景。
いったいどんな写真展なのか・・・

写真の主人公は夥しい数の人間たちだった。
雑踏、人混み、集会、行列、群衆、見物人、子供、若者、家族連れ・・・
それは一見、風景のようだが風景ではない。



群衆や人混みはあくまでも「マス」だが
それは個々の人間、「ミクロ」の集合体であることにあらためて気づかされる。
人間一人一人が意志を持って集い、躍動し、その風景をつくっている。

これはある種の「人間賛歌」なのだなあ・・・と勝手に解釈する。
人間に対する「いとおしさ」のようなものが湧いてくる。
素人が偉そうに言うのはおこがましいが、群衆写真の新しい視点だろうか。
そんな抽象的なことを言っていても伝わらないから
こちらでちょっとご覧になって頂きたい。

コニカミノルタプラザ・大倉将則写真展 PRIMROSE
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2012march/gallery_c_120323.html

4月2日までの開催だからお急ぎのほどを!

写真展を観終わって再び新宿の雑踏の中へ・・・
「マス」の中の「ミクロ」は、よく見るとそれぞれ個性にあふれていて
いい表情をしているなあ、と思った。
こんな風にいい加減に見過ごしていることが山ほどあるのだろうなあ、とも思った。

アルタの電光スクリーンには難民たちの光景があった。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真家の意志 (まろ)
2012-03-30 03:35:31
ヒガシ様
そうですか!そうですか!それはそれは・・・(笑)
私が行った時は誰もいらっしゃらなくて残念でした。
なるほど「しつこく歩き回る」ですか、私はそういう執念がなくて
すぐに「ダボハゼ」のように飛びつくばかりですから反省します!
群衆の意志の前に写真家の意志ですなあ・・・
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わたしも行ってきました。 (ヒガシ)
2012-03-30 03:04:50
会場にご本人もいらしたようで。
他の方との会話を盗み聞きしました(笑)。
写真を撮る前に、かなりしつこく歩き回る、とおっしゃってましたよ。
なるほどそういう写真だなあと思いました。
人物がジグソーパズルの1ピースに見える作品もあった。
「群衆の意志」も、作家=写真家の切り取り方によりますね。
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烏合の衆 (まろ)
2012-03-29 08:06:32
mira47さん
わざわざコメントありがとうございます。
最近、写真展を見るのが楽しみになっているので、とてもよかったです。
ピントはずれの感想だったかも知れませんが
群衆はそこに意志がある限り烏合の衆ではないのだなと
あらためて思った次第です。
写真もやはり思想であり、視点なのですねえ・・・
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群衆 (mira47)
2012-03-29 07:38:03
写真展に足を運んでいただいたようでありがとうございます。
私も先日行ってきました。
まろさんが仰る通り、意思をもって集まる群衆は、
意思をもたぬ群衆とは根本的に違うのだと知りました。
停止して見える写真ではありますが、人々は歩き続け、動き続けています。
そんな瞬間を、作家が、言わば点描として描き出したような写真。
そこに作家のどんな視点が隠れているのかを考えると、興味深く見ることができました。
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