くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「十三人の刺客」の稲垣吾郎をとやかく言ったら、肘を噛みつかれてしまった!(笑)

2010年11月03日 | Weblog
叩かれています。

よほど、お気に召さなかったのだろう。

でも、日本語能力ない方々ですな(笑)、なんてことを言うと更にかみついてくるんでしょうけど(笑)。

今回の演技で見直したって言ってるじゃないですか。

それに「大根」って、役者を評するうえでごく当たり前に昔かから使われてきたわけで、かの15代目にしても、その栄に浴したことがあるんですから! それを何も、「中傷」などと目くじら立てなくてもいいと思うんですけど。

ブログなんぞで、勝手に個人的な感想を書くなとまで仰る方もいる。ブログって、個人的なこと書いちゃいけない場所なんですか? もし、気に要らないとか、名誉を傷つけられたとおっしゃるのなら、どうぞ司法に訴えられてはいかがかと? 受けて立ちますよ? でも、経済的に大丈夫ですか? だって、私が勝んですから、そちらに相当の金銭的負担が行くと思うんですけど?
 
それから、「ジャニタレ」ってのも、いけないそうです(笑)。

もうこうなると「言葉狩り」じみてきて、空恐ろしくさえあります。我が国の民主主義なんてこんなもんですわ。相互批判は民主主義の前提みたいなもんですが、それすらまともにできないんですから。

「ん、そんな輩を相手にするな?」 

いえいえ、私は人によって態度を変えたりはしません。昔、新社会人の頃、それが露骨な上司にさんざんな目にあわされた経験があるので(私だけではなく同僚もそうでしたが)、「こういう人間にだけはなるまいよ」と思ったものです。あー、今でもあの上司の上へのあのいやらしいへつらい笑いを思い出すと、ぞっとします。でも、そんな人でも、家庭では良き夫、父親だったそうで。人は良いことをしながら悪いこともする。そしてまたその逆もしかり。どんな嫌な上司でも、そんな一面があると気付くには、もうしばらく時間が必要でしたけど。

どうも私の「肘」にかみついたお二方は女性と思われるが、この方々も、彼氏、旦那の前では良き彼女、女房に違いない!と思うことにしておきたい。

まあ、それはさておき、私は染高麗のファンではない。素質は買っている。最近は叔父さんについて学ぼうとしているようだが、
残念ながら父親の高麗屋がアレ、すなわち丸本物がダメで(糸に乗れてういない)、どう贔屓目に見たって爺さんの先代幸四郎や爺さんの大播磨の得意とした時代物の諸役は、すなわち高麗屋の家の芸は、ほぼどれをとっても叔父さんの方が実父よりも上なのだから、それはそれで正しい選択だと思うし、それを許している高麗屋も偉いと思う。あっちは覚えちゃいまいが、昔高麗屋と仕事の関係みたいなことで幾度か顔をあわせたことがあるが、十把一絡げみたいな若造にも毎度毎度丁寧にあいさつ、会釈をしてくれたのは、忘れもしない。きっと、寛大・鷹揚な心の持ち主なのだろう。

話がずれた。

染には期待しているが、どうも「ニン」が家の芸の継承者としてどうなのだ?と思ってしまうのだ。「ニン」だけは稽古で何とかなるものではない。それに、あの家系にしては声が良くない。それはきっと、本人が一番自覚し、苦悩していることだろうから、将来的には彼なりの幸四郎になるのではないかと思っている。

でも、あの芝居の巧さ(父親同様、丸本物はまだまだ)をもってすれば、そして演出がああではなかたら、より残虐性を貴種性とのコントラストで際立たせたであろう染の殿さまは、さぞや良かったと想像してみる。

演出ゆえに、稲垣も損をした。好演だっただけに、もう少し、あえて台詞を言わないことで、台詞を言うよりもより雄弁かつ巧みに、あの殿さまの屈折した内面を描き出すことができたのではないだろうか。宿場で追われる身となりながら喋り続けるというあの演出は、どうもいただけなかった。

誤解のないように言っておくが、これは稲垣の力量の問題ではなく、演出の問題だったと思う。

家臣らとともに宿場ん阿内を逃げまどう間、台詞のないまま表情、しぐさで心のうちを表現する。それが稲垣でできたかどうかはいざ知らず、染ならばできたに違いない、しかも稲垣よりも上手くと、私は思うのである。

これも気に要らない。こんなことブログに書くな?

じゃあ、なんだったら書いていいんだい?

稲垣の演技は完ぺきで、ジャニーズタレントは他とは素養が違う、実力が違う!とでも言えってか?

わたしゃ、白を黒とは言えい性分でして・・・。



コメント (4)
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