くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

大阪地裁の「歴史家ごっこ」

2008年03月29日 | Weblog
司法が、歴史家のマネごとをするという猿芝居が大阪地裁で演じられた。

三権分立というものはあるが、裁判所が歴史学の領域に足を踏み入れても分立制を犯したわけでもない。

ただ、ノーベル賞作家氏の著作をめぐる裁判の同裁判所での判決は、八百屋が魚屋に、魚の目利きをとやかく指南するようなもので、自分の専門ではない分野に土足で入り込んで踏み荒らすようなものではないのか。実に下品で不細工な行為である。あれは司法判断ではなく、歴史検証的判断というものだ。しかも歴史検証の日方法論というものをどこまで理解しているか疑わしい素人による「ごっご」の類だ。

原告としては、歴史家ぶった知ったかぶりのロクでもない裁判官にあった身の不運を恨むしかあるまい。そして控訴するしかあるまい。
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政治と五輪

2008年03月29日 | Weblog
五輪が政治と切り離されるべきものであるならば、理屈として各国の首脳等政治指導者が五輪に顔を出すことも不可ということになるはずで、その点ポーランド首相の言い分は正鵠を得ている。

政治とは別物というのであれば、政治指導者である大統領や国家元首が、たとえそれが自国での開催であっても、顔を出すのも問題視されてしかるべきだ。

中国が、五輪とチベット問題という政治問題は別儀と主張するのであれば、五輪開催準備、運営ことごとく国家とは無関係に執り行われるべきであるし、国家主席の開会式開催もこれまた自らの主張にそって不可とすべきではないのか。

ただ、開催国の国家元首が開会式に顔を出さないなどということが現実的にはあり得ないことは言うまでもない。つまり、五輪と政治の分離など最初から是是非非のご都合主義的な理屈でしかないのだ。そもそも、国家という政治体と五輪が不可分である以上、政治とは無関係等とは臍で茶が湧くような言い分でしかない。

したがって、北京五輪への各国の対応も、それ自体が政治性を帯びざるを得ないし、その判断もまた不可避に政治的なものであるということを含んだうえで、なされるのであろうし、我が国の対応もそうあってしかるべし。とはいうものの、媚中ぞろいの福田政権には何も期待してはいないが・・。
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