三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

結実まで

2012-12-05 08:53:36 | 食日記
〈11月5日の食事〉
朝:キィニョンのシリアルバー
遅い昼:仕出し弁当

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何故朝の写真しか撮ってないかって、この日は明確、外の現場仕事だったからなのであった。
@川崎、既に結構な寒さだったことが思い出される。
それから一月たった今日・12月5日は、まさにそれを形にしている最中。
多分それに関しては最後のお仕事、有終の美ってやつを飾れるように、頑張らないと。

続・それを求めて奔走したのだ

2012-12-04 23:26:57 | 食日記
〈11月4日の食事〉
朝:チョココロネ スコーン(以上二点、キィニョンで購入) コーヒー
昼:ホタテのカレー セットサラダ コーヒー @杏/大岡山
夜:冷凍グラタンなど

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青いビニール袋かセロファンか、色を塗って自作するか?という選択に迫られた、牛乳ビンのビニールキャップ。

引っ張っておいて何ですが、あっさりと青いビニール袋を使うことに相成りました。
「そんなに透けないですよ?」という店員さんのアドバイスとは裏腹に、充分薄いし透けたのである。
セロファン案も色づけビニール案も実際は厳しそうだったから、予想がいいように裏切られて良かった。

さて、こうして手に入れたビニールキャップと牛乳ビンとを使い、撮影である。
ビンにはオリジナルのラベルを貼り付けて。
このビンは一本しかないから扱いは慎重に。
自宅を撮影スタジオと化し、昼から22時まで使ってみっちりと。

こうして作っていった写真は、実はこの段階ではプレゼンで、使われるかどうかは天のみぞ知るという感じだったのだが。
無事に採用が決まり、ほっとしたし本当に嬉しかった。

といった写真がばばんと使われたデザインはとある書籍の顔として、通販を先行に12月下旬、一般発売としては1月下旬に日の目を見ますよ、と小さく宣伝。

ところで牛乳ビンだが、奇しくもデイリーポータルZでも取り上げられていた。
記事の本筋ではないところでビニールキャップについても触れられていて、やはり衰退し、ペットボトルのラベルのような密閉フィルムにとって変わられているらしい。
その動きは一昨年ぐらいからとのこと。

デイリーポータルZ『銭湯に牛乳があるのは、北大生のリクエストから?』

そうか、その間全く気づくことは無かったな。
こうしている間にも、ひっそりと消えゆく物は沢山あるんだろうな…と、妙に感慨深くもなるのだった。

あの蓋を探せ

2012-12-04 10:59:46 | 食日記
〈11月3日の食事〉
昼:冷凍ピザ、カレーコロッケ、グラタン
夜:銀のさらの出前寿司 日本酒

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小物を探しに、奔走した一日であった。
必要だったのは、ラベルのない牛乳ビンと、蓋のビニールキャップ。

牛乳ビンは簡単であった。
本当にたまたま、牛乳ビン型の芳香剤を持っていたのだ。
更に運のよいことに、ビンは印刷ではなくシールタイプのラベルだったから、それを剥がせばまっさらだし、芳香剤はなくなりかけだったから、残りを掻き出せばすぐ空になった。

案外難しかったのは、ビンのトップに付く、ひらひらとしたビニールのキャップ。
これが本当に見つからなかった。

なんせ、牛乳ビンで牛乳を売る場自体が壊滅的。
スーパーやコンビニでは全滅で、たまに1リットルサイズの牛乳ビンは見受けられたが、それとてキャップは別素材。
今にして思うと、銭湯などにはあったかもしれないが思い付かなかった。
このずっと後に、秋葉原の駅構内でミルクスタンドを見かけたが、牛乳ビンで売っていたものの、キャップはペットボトルのラベルのような密閉フィルム。
この分だと、宅配牛乳にもビニールキャップを望めなかったかもしれない。

話を戻すと、とにかくビニールキャップがなかったのだ。
代替品を探すしかない。
色も厚みも薄い青紫のビニールよ、君はいずこ。

まあ、東急ハンズに行けば何とかなるだろうと思って赴いたが、読みが甘かった。
どんぴしゃ、ってないもんだねえ。
ほぼ全フロアを巡りながら、苦肉の策で手に入れたのは、「いやあ、そんなに薄くないですよ…?」と店員さんに難儀を示されながらも念のため買った青いごみ袋。
明らかに材質が固いけど、色のイメージが近い照明用のセロファン。
店員さんに透ける色を聞いて選んだ油性ペン(透明なビニールに、色を塗ろうと思っていた)。

以上のもので、どうにかなるんでしょうか。
結果が出るのは、この次の日。
という訳で、この日記は翌日分にも続きます。

それにしても感じたのは、あのひらひらのビニールキャップは、終わりゆく昭和の文化であること。
何かの拍子に外れてしまうから、衛生面を考えたら密閉フィルムに移行するのも頷けるというもの。
というわけで、もしビニールキャップを見かけた方は、大切にされることをお勧めする。
画像検索した感じだと、牧場などで観光客向けに売る牛乳ビンの蓋は、いまだにビニールキャップであることが多いようだ。
私も、もう用は済んでしまったけど、見かけることがあったら捨てずにとっておくと思う。

豚汁は「とんじる」か否か

2012-12-03 22:32:37 | 食雑記
〈11月2日の食事〉
朝:ピザトースト りんご コーヒー
以降が不明

ああこれだから、日にち空けすぎるのは良くないという話だ

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さて、豚汁である。
これまた最近した会話の一環から思い至った話で、11月2日に思いついた話ではない。
でも、書くんだ。

豚汁、「とんじる」である。
けれど、そう言いそう頭で思い描いて変換するにも関わらず、少しだけ「この読みで合っているのか」と心配になるのだ。
それは、こういうことがあったからである。

それは、小学校低学年の頃。
雑誌小学◯年生の、おたよりコーナーを読んでいた時のことだ。
(ちなみに伏せ字にしている訳ではなくて、何年生だったか思い出せないのでこういう表記)
ブラジル出身で、日本に転校してきた女の子が、ブラジル出身であることをネタに、「ぶたじる」とからかわれる、という嘆きの内容であった。

ここでの豚汁は、とんじる、ではない。
ぶたじる、である。
間の悪いことに、食べ物としては知っていた可能性があるけど、豚汁という言葉に初めて接した瞬間であった。
以来、頭の中にビジュアルは浮かぶけれど、とんじるかぶたじるか、いまいちはっきりしないまま、25年ほど生きてきた訳である。

もう、はっきりさせよう。
あなたは、とんじるなのかぶたじるなのか。

結果から言うと、両方正解のようである。
その証拠に、とんじる・ぶたじるその両方が、「豚汁」と変換される。

その呼び名の違いはというと、地域差。
同じ料理でも、地域によって呼び方が変わるらしい。
Wikipediaに掲載されていたためしてガッテンの調査によると、東北・北陸・近畿・山陰・四国・北海道といった場所では「ぶたじる」と呼ばれ、その他の土地では「とんじる」と発せられるとのこと。
その割合は、やや「とんじる」が多目の五分五分。
私の出身県は、まぎれもなくとんじる言語圏である。
先に挙げたブラジル出身の彼女は、そういった所に住んでいたのだな。

それにしても、料理と一緒に漢字のみが各地に広がり、読み方は地域によってまちまちというのが面白い。
それが、東日本/西日本という分かれかたをしなかったところも。

ところで、「とんじる」は音読み+訓読みという組み合わせの言葉で(重箱読みというらしい)、「ぶたじる」は訓読みどうしの組合せだ。
「とんじゅう」と、音読み+音読みで呼ぶところがないのが、とてもいいなと思う。
とんじゅう、何となく旨そうじゃないからな。

などと思いを馳せれば食べたくなるというもの。
今鍋に入っているビーフシチューが空いたら、次は豚汁を作ろう。

ただ鯖を待つ

2012-12-03 12:35:58 | 食雑記
〈11月1日の食事〉
朝:ホノカ カッテージチーズ タラモサラダの残り コーヒー
昼:カルツォーネ(ファミマで購入) さつまいものパン(ローソンで購入) トマトジュース
夜:お弁当(玄米、鶏とタケノコのナンプラー炒め、卵とアスパラの炒めもの、ほうれん草のおひたし)

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時は12月に入りましたが、日記はようやく11月に入りました…。
この調子だと、来年2月に明けましておめでとうっていう内容に…

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今から書く内容は、これを書いた(12月3日)最近起こったことである。
だから、この日の日記に書くのは適切ではないことを、あらかじめ。

日本酒の美味しいお店で飲んでいたのだ。
お酒はもちろんのこと、食事も美味しい。
特に鯖料理には自信があるのか、〆鯖ではない鯖の刺身もあるし、鯖のスモークもあるといった凝りよう。
事変は、その鯖で起こった。

私たちはカウンターに座っていたのだけれど、その隣には女性の一人客が座っていた。
見たところ40代、身なりの洗練された人である。
その女性が、カウンター越しにお店の人に声を掛けたのだ。
「お兄さん、鯖釣りに行ってるの?」と。

それか耳に飛び込んできたとき、てっきりこの女性は常連客で、お店のお兄さんの趣味が釣りだと知ってるくらい仲良しなのだと思ったのだ。
ところが続く言葉が「さっき鯖頼んだんだけど、まだ出ないの?もっと時間かかるようなら、もういらない。帰る」だったからのけぞった。
単なる嫌みだったのである。

ううむ、ふつうに「さっき頼んだ鯖まだですかね?」とにこやかに言えばいいのに。
凍りついたカウンターの雰囲気が、こちらにも痛々しく伝わった。
お店はとても混んでいたのだから、ちょっと多目に見てもいいじゃない。

という話を聞いた友人N君が興味深いことを言っていて、曰く、今は生産者よりも消費者の方が強い時代であると。
この場合、嫌みの生産者である女性客と、それを受けた消費者であるお店の人たちという図式も成り立つのではないかと。
なるほど。
お店の人たちよ、あとで話のタネとして存分に消費してくださいねと、願うばかり。

それにしてもなあ。
とどのつまり、嫌みという形にしてあらわにしたのは、鯖を食べたいという食欲、煩悩である。
それを開示するのって、けっこう恥ずかしいことだと思うんである。
性的な話よりも、食べるところを人に見られる方が恥ずかしいとする時代や民族だっているのだ。
それほど、欲望に忠実な様というのは、あまり大っぴらにしないほうが美しいというもの。

注文の品がなかなか届かないことに苛つくのは分からないでもないが、そこから見えるものを考えると、要求はスマートに伝え、あとは涼しい顔をしていたいものだ。

チョコクロワッサンの極意

2012-12-01 16:24:08 | パン侍
〈10月31日の食事〉
朝:ホノカにカッテージチーズ コーヒー
昼:チョコクロワッサン チーズカレーのパン(以上二点、ファミマで購入) トマトジュース
夜:お弁当(白米、メカジキの生姜焼き、タラモサラダ、もやしとウィンナーの炒めもの)

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一口かじって、ああこれだよと膝を打った。
このチョコクロワッサン、「チョコ好きのためのクロワッサン」である。

私がチョコクロワッサンに望むことはただ一つ、「チョコよ、濃くあれ」である。
量でも風味の濃厚さでもいい。
とにかく「チョコを食った!」という気にさせてくれ。
こちとら、チョコクロワッサンを食べる時はカロリー過多になることを覚悟しているのだ。
その覚悟に見合うだけのチョコが欲しい。
ちょっとだけしか入ってなくて肩透かしを食うなんて、ただでさえクロワッサン生地は高カロリーなんだから、かえってカロリーの摂り損っていう気がするではないか。

その点、これは凄かった。
なんせ、最初の一口からチョコにぶち当たる。
厚みも相当で、まるで板チョコを挟んだかのよう。
少し固めであるけど、もちろんバリッと割れて食べにくい程の強度ではなく、歯応えフェチの私には丁度よい。

パン本体の旨みはまあそこそこ、といったところだが、私にとってチョコクロワッサンのクロワッサン部はチェイサーのようなもの。
そこそこ、で充分だ。

コンビニで変える袋入りのパンは、カロリーが分かってしまうところが仇だが、あえて見ずに捨て、蚊帳の外に。
これがチョコクロワッサンを食べる者の極意である。