三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

豚汁は「とんじる」か否か

2012-12-03 22:32:37 | 食雑記
〈11月2日の食事〉
朝:ピザトースト りんご コーヒー
以降が不明

ああこれだから、日にち空けすぎるのは良くないという話だ

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さて、豚汁である。
これまた最近した会話の一環から思い至った話で、11月2日に思いついた話ではない。
でも、書くんだ。

豚汁、「とんじる」である。
けれど、そう言いそう頭で思い描いて変換するにも関わらず、少しだけ「この読みで合っているのか」と心配になるのだ。
それは、こういうことがあったからである。

それは、小学校低学年の頃。
雑誌小学◯年生の、おたよりコーナーを読んでいた時のことだ。
(ちなみに伏せ字にしている訳ではなくて、何年生だったか思い出せないのでこういう表記)
ブラジル出身で、日本に転校してきた女の子が、ブラジル出身であることをネタに、「ぶたじる」とからかわれる、という嘆きの内容であった。

ここでの豚汁は、とんじる、ではない。
ぶたじる、である。
間の悪いことに、食べ物としては知っていた可能性があるけど、豚汁という言葉に初めて接した瞬間であった。
以来、頭の中にビジュアルは浮かぶけれど、とんじるかぶたじるか、いまいちはっきりしないまま、25年ほど生きてきた訳である。

もう、はっきりさせよう。
あなたは、とんじるなのかぶたじるなのか。

結果から言うと、両方正解のようである。
その証拠に、とんじる・ぶたじるその両方が、「豚汁」と変換される。

その呼び名の違いはというと、地域差。
同じ料理でも、地域によって呼び方が変わるらしい。
Wikipediaに掲載されていたためしてガッテンの調査によると、東北・北陸・近畿・山陰・四国・北海道といった場所では「ぶたじる」と呼ばれ、その他の土地では「とんじる」と発せられるとのこと。
その割合は、やや「とんじる」が多目の五分五分。
私の出身県は、まぎれもなくとんじる言語圏である。
先に挙げたブラジル出身の彼女は、そういった所に住んでいたのだな。

それにしても、料理と一緒に漢字のみが各地に広がり、読み方は地域によってまちまちというのが面白い。
それが、東日本/西日本という分かれかたをしなかったところも。

ところで、「とんじる」は音読み+訓読みという組み合わせの言葉で(重箱読みというらしい)、「ぶたじる」は訓読みどうしの組合せだ。
「とんじゅう」と、音読み+音読みで呼ぶところがないのが、とてもいいなと思う。
とんじゅう、何となく旨そうじゃないからな。

などと思いを馳せれば食べたくなるというもの。
今鍋に入っているビーフシチューが空いたら、次は豚汁を作ろう。

ただ鯖を待つ

2012-12-03 12:35:58 | 食雑記
〈11月1日の食事〉
朝:ホノカ カッテージチーズ タラモサラダの残り コーヒー
昼:カルツォーネ(ファミマで購入) さつまいものパン(ローソンで購入) トマトジュース
夜:お弁当(玄米、鶏とタケノコのナンプラー炒め、卵とアスパラの炒めもの、ほうれん草のおひたし)

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時は12月に入りましたが、日記はようやく11月に入りました…。
この調子だと、来年2月に明けましておめでとうっていう内容に…

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今から書く内容は、これを書いた(12月3日)最近起こったことである。
だから、この日の日記に書くのは適切ではないことを、あらかじめ。

日本酒の美味しいお店で飲んでいたのだ。
お酒はもちろんのこと、食事も美味しい。
特に鯖料理には自信があるのか、〆鯖ではない鯖の刺身もあるし、鯖のスモークもあるといった凝りよう。
事変は、その鯖で起こった。

私たちはカウンターに座っていたのだけれど、その隣には女性の一人客が座っていた。
見たところ40代、身なりの洗練された人である。
その女性が、カウンター越しにお店の人に声を掛けたのだ。
「お兄さん、鯖釣りに行ってるの?」と。

それか耳に飛び込んできたとき、てっきりこの女性は常連客で、お店のお兄さんの趣味が釣りだと知ってるくらい仲良しなのだと思ったのだ。
ところが続く言葉が「さっき鯖頼んだんだけど、まだ出ないの?もっと時間かかるようなら、もういらない。帰る」だったからのけぞった。
単なる嫌みだったのである。

ううむ、ふつうに「さっき頼んだ鯖まだですかね?」とにこやかに言えばいいのに。
凍りついたカウンターの雰囲気が、こちらにも痛々しく伝わった。
お店はとても混んでいたのだから、ちょっと多目に見てもいいじゃない。

という話を聞いた友人N君が興味深いことを言っていて、曰く、今は生産者よりも消費者の方が強い時代であると。
この場合、嫌みの生産者である女性客と、それを受けた消費者であるお店の人たちという図式も成り立つのではないかと。
なるほど。
お店の人たちよ、あとで話のタネとして存分に消費してくださいねと、願うばかり。

それにしてもなあ。
とどのつまり、嫌みという形にしてあらわにしたのは、鯖を食べたいという食欲、煩悩である。
それを開示するのって、けっこう恥ずかしいことだと思うんである。
性的な話よりも、食べるところを人に見られる方が恥ずかしいとする時代や民族だっているのだ。
それほど、欲望に忠実な様というのは、あまり大っぴらにしないほうが美しいというもの。

注文の品がなかなか届かないことに苛つくのは分からないでもないが、そこから見えるものを考えると、要求はスマートに伝え、あとは涼しい顔をしていたいものだ。