心臓が通常のリズミカルなポンピング活動でなくなると、胸が締め付けられる痛みというが、心臓が
ぎゅっと小さくなっていく、縮んでいくような、強烈な痛みに襲われる。
そして心臓が停止すると、すっとその痛みが消えていく。
それから意識的には、ああ楽になった。ありがとう。と、0.1秒か、0.01秒か、絶対そのように
考える時間を神様が与えてくれる。それでその後、意識がなくなり心配停止状態となる。
恐らく、戦場で大けがを負った兵士が、モルヒネを打たれようが、苦痛に耐えている時、
もうまもなく死ぬという直前、心臓が停止して、0.1秒か0.01秒の間に、ああ、誰かが楽になる
薬を投与してくれた、ありがとう。と一瞬思って、その後に息絶えるはずだ。
苦痛の気持ちが残ったまま死んでいくことは絶対ない。このわずか0.1秒か0.01秒の間に、
すべてに感謝する一瞬があって、息絶えていくことになる。そのようにに臓器の動きが
停止した後、脳に信号が届くまでのわずかの間だけ、安らかになる一瞬をもつことができる。
今度、AEDを何回か充てられた後、息を吹き返すすときは?
これが苦痛なのだ。
4回、AEDを使用されたとしたら、3回目までは全く覚えがない。息を吹き返す直前の4回目の
AEDの衝撃、痛さにびっくりして息を吹き返すことになるが、これが拷問と同じ感覚で、
まずは一言目に、恐らく、もうやめてくれ、と声にでるぐらい最後の一発の電気ショックは
すごいものがある。その後に発する言葉は、俺の場合は、「しんどい」だったが、恐らく
誰もがそれに近い言葉、辛い、とか発するものと思う。
死ぬ直前に、楽になった、と思いながら、死の世界の入口へ向かい、
逆に生き返るときは、痛い目に遭いながら、さらに辛い、しんどい、と言う言葉と共に
現世に戻ってくる。
どちらも時間にして、ほんのわずかな時間に、凝縮した本質的な気持ち、思いを脳で
感じながら生死の境を行き来する。
人間って、こんなところまで、うまく創造された、生き物であることをしみじみと
感じさせてくれる、実体験させてくれる。
肉体的な死というものは、一瞬ではあるが、自分の頭の中で極楽であることを垣間見ながら、
出発できることはまちがいない。決して苦痛や懺悔ではない。