現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

死ぬ直前の0.1秒もしくは0.01秒

2018-08-09 | Weblog

心臓が通常のリズミカルなポンピング活動でなくなると、胸が締め付けられる痛みというが、心臓が

ぎゅっと小さくなっていく、縮んでいくような、強烈な痛みに襲われる。

そして心臓が停止すると、すっとその痛みが消えていく。

それから意識的には、ああ楽になった。ありがとう。と、0.1秒か、0.01秒か、絶対そのように

考える時間を神様が与えてくれる。それでその後、意識がなくなり心配停止状態となる。

恐らく、戦場で大けがを負った兵士が、モルヒネを打たれようが、苦痛に耐えている時、

もうまもなく死ぬという直前、心臓が停止して、0.1秒か0.01秒の間に、ああ、誰かが楽になる

薬を投与してくれた、ありがとう。と一瞬思って、その後に息絶えるはずだ。

苦痛の気持ちが残ったまま死んでいくことは絶対ない。このわずか0.1秒か0.01秒の間に、

すべてに感謝する一瞬があって、息絶えていくことになる。そのようにに臓器の動きが

停止した後、脳に信号が届くまでのわずかの間だけ、安らかになる一瞬をもつことができる。

 

今度、AEDを何回か充てられた後、息を吹き返すすときは?

これが苦痛なのだ。

4回、AEDを使用されたとしたら、3回目までは全く覚えがない。息を吹き返す直前の4回目の

AEDの衝撃、痛さにびっくりして息を吹き返すことになるが、これが拷問と同じ感覚で、

まずは一言目に、恐らく、もうやめてくれ、と声にでるぐらい最後の一発の電気ショックは

すごいものがある。その後に発する言葉は、俺の場合は、「しんどい」だったが、恐らく

誰もがそれに近い言葉、辛い、とか発するものと思う。

 

死ぬ直前に、楽になった、と思いながら、死の世界の入口へ向かい、

逆に生き返るときは、痛い目に遭いながら、さらに辛い、しんどい、と言う言葉と共に

現世に戻ってくる。

 

どちらも時間にして、ほんのわずかな時間に、凝縮した本質的な気持ち、思いを脳で

感じながら生死の境を行き来する。

人間って、こんなところまで、うまく創造された、生き物であることをしみじみと

感じさせてくれる、実体験させてくれる。

 

肉体的な死というものは、一瞬ではあるが、自分の頭の中で極楽であることを垣間見ながら、

出発できることはまちがいない。決して苦痛や懺悔ではない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする