現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

立夏 2015

2015-05-06 | Weblog

従来は、立春、立冬などといっても、ええ?まだでしょ? という感じだったが、今年は、そのものズバリと思っても大丈夫なようだ。時と気候との関係が旧暦に戻ったということか。そうであれば、日本人の先見の明、というか古くは大陸からの受け売り、継承だろうから、アジア文明の先見の明ということでもあるのか。時間というものは、まさしく万人に公平にある。それでも感情的には、年齢が上がるとともに、早く過ぎるような気がしてならない。それは、いわゆる、あせり、せきたてられている、まだまだあれもこれもこうしたいなどと妄想をいだいているからかもしれぬ。30代、40代のころに言っていた、体力が落ちたからなどとは比べようもないぐらい、実際に身体能力が落ちてしまっていることに気付いた時には。。。ということになっていき、さらに気持ちだけが先行することになる。テニスやバドミントンをすると、まだ変形性膝関節症でもないらしいが、膝での衝撃を支えきれる力が自分でも首をかしげるほど劣ってしまっていることに気付く。お金があれば、ゆったりとライザップでも始めれるのであろうが、それもできない。まあ、そんなもに頼らずとも、本当にやる気があれば、住まいの近くの公園でも、一人でも体力維持、増強はいくらでも行えるであろうが、そう考えると、本気になっていないというだけのことで、相田みつをに言わせれば、身から出たさび、に吸い込まれてしまうことだろう。

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