庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

鮨 素十 (5)

2008-02-20 13:04:55 | 小説
 親仁の名前は素十という。勿論この名前は親が付けたものである。子どもの頃、近所の子供たちは親仁のことを「そっちゃん」と呼んでいた。親仁はこの頃、子供心に何故こんな名前をつけたのかといつも疑問に思っていた。しかし、親仁は必ずしもこの名前が嫌いではなかった。それどころか、むしろこの名前がなんとなく気に入っていたのである。親仁はかって一度だけ自分の名前の意味を父親に聞いたことがあった。
「僕の名前は何で素十って言うの---」
 父親はいつもと違うまじめな面持ちで素十にこう言った。
「素十---、素というのはなぁー、『もと』という意味があるんだ。もとというのはすべてのもとなんだ。すべてのものはこのもとから創られるられるんだ」
 確かそんなような話だった。しかし、正直なところあまり意味がよく分からなかった。そんなことがあった後、しばらくして学校の理科の授業で元素の話を聞いたことがあった。
「物はいろいろな物からできている。そして、それらの物はさらにより小さい物質によって構成されているんだ」
「そしてだなぁー、さらにこれらの小さな物質も、よりもっと小さい物質からできているんだよ。こうやって物質のもとをさらにさらにと突き詰めていくと、最後に到達する物質がある。それが元素というんだ」
「元素とは、これ以上分解できないという究極の物質だ」
 かっての理科の先生がこんな話をしたことをよく覚えている。
「そうか、俺の名前の素はそういう意味があったのか---」、とその時初めて頭での理解とともに気持ちの上でもしっかりと分かったような気がした。

 それにしても親は何でこんな名前をつけたのかという疑問はまだ解けなかった。
 因みに親仁の父親の名前は『素一』という。一般的な推測からして素十の素は、父親の一字をもらっていることは容易に理解できた。一は、父親が長男であったことからこれも直ぐに分かった。しかし、父親は単に自分の名前を子どもに継いでもらいたかったというだけではなく、名前の持つ意味をしっかりと理解した上で、その意味に含まれる精神をも子どもに継がせたかったようだ。




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