地元の「月一原発映画祭」については、何本かこのブログに書いている。今回はマルク・プティジャン( Marc Petitjean)監督の『ヒロシマ、そしてフクシマ』というドキュメンタリー映画である。
監督は2006年に『核の傷ー肥田舜太郎医師と内部被爆』を撮っている。
肥田舜太郎といえば昨年100歳で逝去されたが、1945年8月6日以来広島で被爆者の治療にあたり、生 . . . 本文を読む
『万引き家族』が住んでいる家は、昭和の高度成長期の頃に建てられたと思う。小さな池もあった庭付きの平屋建てだから、売りっぱなしの建売住宅ではない。
この家の建て主はたぶん、成長著しい企業に勤め、先見の明や甲斐性もある男だったであろう(仏壇に飾られた遺影は初老のイケメンだった)。土地付きではない借地権付きの地所に、ローンを組んで建てたのではないかと考えられる。下町ではあるが通勤のロケ . . . 本文を読む
この石にさす光はその意志を失う。光はこの石の上をすどおりして他の物へ行くことができない。光はこの石に身を寄せ、ためらい、とどまり、この石の中に住むのである。 (リルケ 『ロダン』)
吉岡実の散文からの孫引きである。
わたしは俗物を自認するが、むしょうに美しいものや、心を刺す言葉を求めるときがある。やはり好きなものは色とかカタチ。しかし、四六時中それらのものに囲まれたら、飽きてく . . . 本文を読む
熊谷守一(くまがい・もりかず 1880‐1977)の『轢死』(1908)の実物をはじめて視た。
解像度がシャープな出版物でも、全体が真っ黒にしか見えず、ほのかに横たわってる身体が認められるだけの絵画。ぜひとも本物を目の当たりにしたいと願っていて、遂にその機会が訪れた。
ガラス越しであったが、見方を変えたり、目いっぱい凝らして観たが、やはり判然とせず何がなんだかわから . . . 本文を読む
映画『この世界の片隅に』について、面白くしかも記憶をえぐられるような論評を『極東ブログ』で読んだ。『極東ブログ』は、私がブログを書き始めたとき既に、群を抜く人気ブログであり、その知的ハイブローな記事を読むにつけ、ブログを書く上での模範、ひとつのスタンダードになった。
『極東ブログ』の著者は「違和感というのでもない微妙に、もにょーんという感じが残った」としながら、『この世界の片隅に . . . 本文を読む
▲炎の人フィンセント・ファン・ゴッホ 拳銃自殺したが死に至らず、その傷がもとで死亡。しかし、その真相は・・。
作り手たちの情熱がひしひしと伝わってくる映画だった。実写の映像をわざわざアニメーションにした。現在進行のストーリー部分はカラーで、ゴッホそっくりのペインティング・タッチと色づかい! 過去を振り返るときの映像はモノクローム。カラーよりも、逆にリアルさを際立たせているのだが、白黒 . . . 本文を読む
アントナン・アルトーを通底して、ヴァン・ゴッホの狂気がうんだ創造性を考える
▲若かりし頃のアルトー。詩人兼俳優。サイレント映画の傑作・カール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』に神父役で出演した。
ギリシャ人の両親をもちマルセイユに生まれた詩人アントナン・アルトーは、ゴッホの狂気に深い共感をしめしながら、ゴッホは「社会が自殺させた者」として断定した。つまり、彼を狂わせ死に至ら . . . 本文を読む
▲燃え残って石化した木と主人公K。タルコフスキーの『サクリファイス』をおもいだす。この下にRが眠っている。80年代のランボルギーニ風のこれ、なんと言ったか?
ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Villeneuve)監督の『ブレードランナー2049』を見た。
監督の出生地はカナダのケベック州だからフランス系移民の末裔であろう。しかし、祖先はロシアからの亡命貴族ある . . . 本文を読む
今年は、漱石の没後100年、生誕150年であり、早稲田に記念館もできるなど話題は多い 。それに乗じてとはなんだが、畏友正岡子規もほんの少し話題になり悦ばしい。
同じ慶応3年生まれ生誕150年でありながら、幸田露伴、宮武外骨、尾崎紅葉、南方熊楠、斉藤緑雨らの名前の沙汰は聞かれずに寂しいが、私が知らないだけかもしれない。(スピンオフ・ネタとして坂本龍馬没後150年)
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竹下節子さんのブログ『L'art de croire』では、このところ「ウィーンの話」が連載されていた。ウィーンといえばオーストリッチじゃない中島義道? いやいや、神聖ローマ帝国すなわちハプスブルグ家だ。スペインからポーランド、チェコあたりまで、ヨーロッパの何たるか知るには、パリでもローマでもないウィーンをめざしてこそ真正に至る? 有名な聖堂や教会の数々、国立図書館のフ . . . 本文を読む
筆者は小さな魚である。他の小さな魚と同じ、食べられてしまう運命にある。大きな魚に呑みこまれる小魚。いや、ひょっとすると雑魚でしかなく、小魚の格好の餌食かもしれない。
大きな魚は、さしずめ安倍晋三だろうか。いやいや、地域の町会長ほどの大きさの魚でしかないかも。
この絵はネーデルランドの画家、ピーテル・ブリューゲル1世( 1525/1 . . . 本文を読む
「遺言 原発さえなければ」というドキュメンタリー映画を3か月にかけて鑑賞した。地元で活動している小さな民間団体「月1原発映画祭」(※注1)が主催し、4時間近い長尺のため3回に分けて上映されたもの。福島県双葉郡浪江町をメインに、3.11以降2013年4月まで酪農家の人々に密着したドキュメンタリー映画である。
▲今週の土曜日、3.11から東中野ポレポレでアンコール上映されるとのこと。ダイジ . . . 本文を読む
キチジローをともなって密航でキリシタン禁制の日本に来た二人の神父。噂通りの現実を目の当たりし、苦渋にみちた顔で呟く。日本では何故、キリスト教が根付かないのか。
「日本は沼なのだ。種をまいても根は張らない・・」
西欧から来た聖職者たちの、日本人を見るまなざし。憐みと慈しみがない交ぜになったある種のやりきれなさ。キリストへの強い信仰をもって殉教する神父も、拷問に屈して棄教する神父も . . . 本文を読む
スペインに行って、思ってもみなかった心的衝撃をうけた。
築いてきた思考方法の改変を迫られる、そんなインパクトのある絵画を見た。ディエゴ・ベラスケスが描いた「ラス・メニーナス」(侍女たち)である。プラド美術館において門外不出とされている名画中の名画だ。マドリッドに来ない限り実物を鑑賞することはできない。だから凄いのだ、と言いたいのではない。
ツアーに組み込まれたプ . . . 本文を読む
これはあくまでも戦争を描いたアニメ映画だ。それ以外の何ものでもない。戦争を何かのメタファーとして、例えば大災害・災厄として読み替えてはならない。
これまでの戦争映画は、ドキュメンタリーであれアニメか実写であれ、軍隊の戦闘や殺戮のある場面を中心にして映画はつくられてきた(※)。これをA面だとすれば、「この世界の片隅に」はB面である。A面が男主体の戦争だとすれば、「この世界の片隅に」はいわゆる . . . 本文を読む