小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

炎上は、批判精神の衰弱か

2016年09月24日 | エッセイ・コラム
  朝刊の記事を読んで考えたこと。 日本人の批判精神が脆弱になってる。気弱になって、我慢強さも減衰したか。他者を批判しないことを美徳とするあまりに、批判そのものができなくなってしまったのか・・。   ネット上での炎上がときに話題となる。東京新聞の週一連載記事「ネットで何が」で、ニュースサイトの記事が炎上したことを話題にしている。 「BLOGOS」というサイト(※)に寄 . . . 本文を読む

パラリンピック観想

2016年09月19日 | エッセイ・コラム
  パラリンピックがきょう終わった。熱心に見たとはいえないが、様々な競技を見て胸にせまってくる静かな感動を味わった。人間の身体がもつ、無限の可能性にも感じ入った。 選手たちがめざすもの、伝えたいものは健常者のアスリートとまったく同じだと思う。身体の動きはもちろんだが、心の躍動美みたいなものが、どの競技、選手をみてもひしひしと感じとれた。失った身体、機能は、テクノロジーでおぎなう。見え . . . 本文を読む

JKの俳句に覚醒

2016年09月14日 | エッセイ・コラム
  一か月以上も間をあけてしまった。ある種の内的混乱に陥ったのかもしれない。生活の基本は変わらず、何かの支障があったわけでもない。自分が語りえるもの、貧しい概念でも表現したいものがあったはずだ。 その輪郭を見失ったのは、胆力とか根気のせいにはしたくない。だが、よく考えてみれば、「老い」を衒いなく受け入れる自分がそこにいる。でもそういうことはよくある、とモンテーニュも書いていなかったか . . . 本文を読む