小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

憂愁の夏、過ぎゆく

2018年08月30日 | 日記
  読んでいる新聞のせいか、「障害者雇用の水増し問題」が止むことがない。中央省庁のみならず、自治体の採用にも及んでいるらしい。愛国主義者ではないが、日本という国が好きな、やや偏屈な高齢者だ。老い先がどうなるか知らないが、もう少し明るい社会の話題がほしい。なんとかしてくれ、と叫びたい心境だ。それにしても、この国はどうして社会的な弱者に対して冷たく、平気で差別するのだろうか。「生産性」とか . . . 本文を読む

ピカソのラス・メニーナス(侍女たち)

2018年08月27日 | 芸術(映画・写真等含)
  昨夜、NHK日曜美術館で「ベラスケスのラス・メニーナス」を観た。今年の4月頃に放映し、その再放送とのこと。どうして観なかったのか記憶にない。  司会が小野正嗣・高橋美鈴さんに変わって、どうも前向きに観る気が失せたのか。別に何が悪いというのでもなく、これという理由もない。相性が合わないぐらいの感じ。 しかし、テーマがベラスケスなら見逃すことはなかったはずだが・・。まあ、 . . . 本文を読む

反ブリコラージュの男(故小野田寛郎氏)

2018年08月25日 | エッセイ・コラム
「陸軍中野学校」といえば市川雷蔵である。眠狂四郎といえば、田村正和ではなく雷蔵だ。ニヒルでクール、そして胆力のある男を演じれば、彼の右に出るものはいなかった(京都弁の優男も演じたが・・。ま、60年代の一時期のこと、彼は惜しくも38歳で永眠した)。 切れ長の目と端正な顔立ち。細身の体つきながら、低く落ち着いた声色。女性だけでなく、男性をも魅了した市川雷蔵。陸軍の諜報員つまりスパイとなって暗躍す . . . 本文を読む

ブリコラージュの男(78歳の高齢ボランティア)

2018年08月21日 | エッセイ・コラム
78歳のボランティア尾畠春夫さんが行方不明の男の子(2歳)を救出したことは、素晴らしいニュースだった。と同時に、このお歳で被災地へ出向き、地元の人々に貢献していることを聞き及び、日頃自分のことだけで精いっぱいの我を恥じ、彼を見倣うべく居ずまいを正せねばと思う今日この頃である。 『怖い絵』などの著作で有名な中野京子さんのブログを拝見したら、その話題にふれていて、尾畠さんが「飴玉」を男の子にあげたこ . . . 本文を読む

フランクリンとワシントン

2018年08月18日 | 音楽
30年ほど前のこと。 デザイン会社のS社長は大学の大先輩であり、私をよく曳きたててくれた恩人だ。お互いに気心の知れる間柄となり、言いにくい辛辣な直言をしたし、自分に合わない仕事は断ったこともあった。そんな無礼で生意気な私を信用してくれたのはなぜなのか、と今にして思う・・。 Sさんの愛車は新型のスカイラインで、「年齢相応とは思いませんけどね」と言うと、「それは君の嫉妬かね」と、痛いところをつかれ . . . 本文を読む

「今日」を忘れないために

2018年08月15日 | 日記
 きょうは先人、体験者の話に耳を傾ける日だ。 元海軍士官、建築家の池田武邦氏(94)のインタビューが2面にわたって掲載されていた。日本設計を創業し、霞が関ビル、新宿三井ビルなど超高層ビルやハウステンボスの設計に携わった、戦後を代表する建築家のひとりである。 太平洋戦争では、マリアナ沖、レイテ沖、沖縄海上特攻の三つの海戦を生き抜いてきた。沖縄では巡洋艦「やはぎ」に乗船したが、戦 . . . 本文を読む

『この世界の片隅に』のエロス的問題・その後

2018年08月13日 | エッセイ・コラム
  『この世界の片隅に』がTBSでドラマ化され、反響を呼んでいるらしい。妻も熱心に観ているようだが、TBSのことだから、人間模様を重点的に描き直すだろうと私は予測し、観たいのはヤマヤマだが観るのは止した。だが、心の底では渇望していたのか、先週そのダイジェスト(パイロット?)版が放映され、観たい誘惑に負けてしまった。 こうの史代の原作の漫画では、主人公すずは「ぼーっ」とした性格でおっと . . . 本文を読む

贖罪に終りがあるのだろうか

2018年08月08日 | エッセイ・コラム
  近代法において、「戦争」における兵隊の戦闘行為を罪に問うことはできない。いかなる方法で敵を死に至らしめても、その兵士が一個人として「殺人罪」に問われることはない。 戦前の日本は、多くの民間人を徴兵した。そして、一人前の兵士に育てあげるのだが、敵を人間と見做さない冷徹な訓練をうけさせた(今の自衛隊は違うだろうが・・)。 敵は人ではない、モノとして見做さないと、銃弾を撃つことはでき . . . 本文を読む

原民喜を偲んで

2018年08月06日 | エッセイ・コラム
  梯久美子が岩波新書で『原民喜』を上梓した。「その繊細な精神は、過酷な運命を生ききった」と、宣伝文にあったが「生ききった」どうかは彼の胸のうちに秘められている。彼女が書いた評伝なら読んでみたい。 私の生後5か月ほど1951年3月13日、中央線吉祥寺・西荻窪間の鉄路に原民喜は身を横たえ自死した。自宅には、近親者・友人宛の遺書が19通あったという。 遡ること6年前。1945年8月6日 . . . 本文を読む

吉村昭の「悠遠忌」に行く

2018年08月05日 | 日記
  東京新聞の記事を読み、吉村昭の第10回「悠遠忌」に行った。会場は荒川区の東尾久のアクト21ホール(正式名称は、男女平等推進センター)。 研究会の存在や文学忌が行われていることは、かねてより知っていた。全作品を洩れなく読むほどの熱烈な読者でもないし、作家を追悼する集まりに行くのは気後れし、その類のものに出掛けたことはない。 今回の「悠遠忌」は、作家司馬遼太郎と吉村昭の作風の違いや . . . 本文を読む

震駭、ジェンダー加減はあるんだな!

2018年08月03日 | 日記
  先日、御茶ノ水女子という「女子」と銘打った大学が、入学に関してLGBTのtを受けいれる表明をし耳目を集めた。世の中は変わるもんだな、と思っていた矢先、「女子受験生の点数を減点し、合格者の割合を3割前後に調整していた」というニュースが飛び込んできた。 東京医大の入学試験における恣意的な女性差別は、今後、民事の集団訴訟にも発展しかねない「事件」である。こんなことを画策した大学関係者の . . . 本文を読む