小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ブリコラージュとはなにか

2022年06月29日 | エッセイ・コラム
プリコラージュなる言葉が日本の世間にない概念を提示しているならば、貴方は、それを貴方がどう解釈してあられるか(ママ)、それを読者に開示すべきだ。日本語にない概念ならば、それを貴方なりにどう解釈きているか(ママ)、情報公開せねば不公平だろう。だからスカしていると書いた。その概念、つまり日本語にない事をどう貴殿が理解されているか、それを公表せすに読者に委ねるのは不公平だろう。不特定多数に向けた、公に向 . . . 本文を読む

黒部ダムと北アルプスの一端

2022年06月22日 | エッセイ・コラム
小生の育ての親というべき母方の伯父は、植村直己が所属した登山部の先輩だったらしい。山が好きで、スキーも好きで、写真撮影が好きだった。カメラにまつわる思い出、触感などがよみがえる。 谷川岳で転落して、そのとき耳が切れた傷痕をみせながら、山をなめたら駄目だぞと、そのときの自慢気な、でも真剣な眼差しは忘れない。 その伯父が、この6月に98歳((当初96歳と記、母が生存したらの年齢)で亡くなった。その . . . 本文を読む

雪嶺と雲海、立山へ 

2022年06月19日 | 日記
上高地の旅の記録は、副題に「北陸・長野の旅①」としていたが、あまりに大袈裟であり、気恥ずかしくなった。ほぼピンポイントの旅であるし、高齢者むけのパックツアーに便乗したものだ。今回からは、この副題を撤回する。まずは、久々の遠出は嬉しかったし、奥深い自然にふれることができて良かった。 今回は立山周辺のみを記録としてのこす。ここには以前、亡母と3人で来たが、そのときは20mほどもある「雪の大谷」はなか . . . 本文を読む

肖像画にこだわったプーチン

2022年06月17日 | エッセイ・コラム
プーチンが二十歳そこそこの若者たちを前に、大学ゼミふうの歴史講義をしている。過日、そんなニュースを目にした。いまウクライナで展開されている「特別軍事作戦」は、ロシアにおける歴史的かつ正統なる国事となる云々の話だったらしい。ウクライナへの侵攻を正当化する、もちろんプロパガンダ用のTV番組だ。ここでもプーチンは、ロシア帝国の始祖ともいうべきピョートル大帝をもちだして、ロシアの歴史を講義したらしい(※別 . . . 本文を読む

上高地の水と光、山と緑 

2022年06月16日 | エッセイ・コラム
22,3年ぶりに上高地を再訪した。といっても、合羽橋を渡ってウェストン碑まで散策しただけだ。 梓川の透き通った水の美しさは変わりなく、新緑は光りを浴びて青みが滴るようだった。晴天だったのだが、奥穂高岳、前穂高岳など穂高連峰の頂上付近はずっと雲に隠れたままで、残念至極。でも、山から下りてくる気持ちのいい冷気は、まさにアルプスの風に違いない。 川のせせらぎを聴きながら遊歩道を歩く。どうしたものか、 . . . 本文を読む

花だけを見る日

2022年06月09日 | 日記
言葉は、私にとっては感情や思惑で結びつける道具ではない心の深奥にたゆたう不思議で想像する何かだそのざわめきのような、時に混沌としている何かを見つめそこからしっかりと浮かび上がってくるものを言葉にするもう若さはとり戻せないのだから、それなりの終着点を見渡せるのだから焦らずに確かなものだけに執着していようなにもすることのない日、なにもできない日があっていい確実でなくとも、ひらめきとか予感とか目に見えな . . . 本文を読む

心のなかの暴力、刃 ②

2022年06月04日 | エッセイ・コラム
前回のブログ記事では、メロンぱんち氏の「暴力について」の記事をうけて、自分なりの暴力論を展開した。大きく言えば、個人の暴力と国家がもつ暴力は、まったく異質なものだとする考え方である。それを具体的に書く用意はあったのだが、さらに整理する必要性を感じていたのでいったん終了した。その不完全な状態で、メロンぱんち氏とブログ読者のスナフキン氏(※別記)に拙記事についての感想を求めてしまった。意見を求めるなら . . . 本文を読む

心のなかの暴力、刃 ①

2022年06月01日 | エッセイ・コラム
「どーか誰にも見つかりませんようにブログ」というブログがある。いま私を刺激し揺さぶってやまない。哲学・思想・歴史から芸能・音楽・事件風俗など硬軟・古今東西をとりまぜた、多彩なジャンルに言及している個人ブログだ(左側の「ブックマーク」にリンクあり)。単発の重厚な記事があれば、シリーズ化したもの、何年にもわたり追求されているテーマの記事もある。 それらが毎日休まず書かれ続けていて、たいへんに胆力のあ . . . 本文を読む