小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

『カラマーゾフの兄弟』読了

2018年05月31日 | 本と雑誌
  この齢にして『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典文庫版・亀山郁夫訳)をやっと読むことができた。 死ぬまでには読みたいと願っていたドストエフスキーの遺作かつ未完の大作。最終的な結着をみないまま、その後の展開を読者の思案にゆだねる作品である。それはそれで、畢竟ともいうべき文学世界を予感させるに充分な、底知れないイマジネーションを喚起してくれる。 今回は読後の印象だけにとどめよう。 . . . 本文を読む

きみ一人の音がきこえる

2018年05月27日 | 
  憶測を抹殺せよ。想像力を排除せよ。 人形のように糸に操られていないか。 目の前の現象を注視せよ。他者の変化を認識せよ。 運命とか偶然に任せてはいないか。甘い記憶に癒されていないか。 お前には味方がいない。樹や水、土や風、自然の素材とほぼ同じだと見なそう。 苦しくないのか お前の笑いは人に見せるだけのものだ。  信じることと、従うことはほぼ等しいと思え。 水の上の枯れた . . . 本文を読む

ある「弱さ」について

2018年05月23日 | 日記
  彼は自分について「弱さ」があると語っていた。 その「弱さ」ゆえに、理不尽な指示にしたがい、不本意に不当なことをしてしまった、と。 それは自分に「弱さ」があるからこその結果だ、と。 彼が正直に語った「弱さ」は、この世界を反転する「強さ」になりえる、と私はおもう。 このことに気づく人はまだ少ない、自分の「弱さ」を認められる人は、さらに少ない。 彼は少なくとも真実をはなし、誠意 . . . 本文を読む

ベトナムの人たちに支えられて

2018年05月20日 | まち歩き
▲代々木公園に架かる橋の上から会場をみる。混乱せずに、屋台に並ぶ列の隙間を人々がすりぬける。雑然としているが、平穏なのだ、この賑わいの中でも。 代々木公園のベトナム・フェスティバルに行ってきた。澄みきった青空の下、たくさんの人、屋台、ブースが会場を埋め尽くす。 行き交う人たちは半分以上がベトナム語を話している。ほとんどが20代の若者たちだと思われる。東京近隣に住むベトナム人が、一斉にここに . . . 本文を読む

記憶は何のためにあるのか

2018年05月16日 | 日記
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、自分の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂のなかにおくようなことをしているのだ。 マルクス・アウレーリウス『自省録』(神谷美恵子訳)より   ▲遺伝子、種というのは、記憶の基だといえないだろ . . . 本文を読む

ブエノスアイレスのtoe

2018年05月15日 | 音楽
  好きなバンドtoe(トー)が今年、南米ツアーをしたらしい。サンパウロ、リマ?のコンサートの模様がYouTubeにアップされていた。 なかでも、アルゼンチンのブエノスアイレスのものが画像よかった。2011年以降、かれらは積極的に外国ツアーをしているが、南米は初めてだ。ポストロックといわれるtoeの音楽が、ラテンアメリカで受け入れられているのは、何故か。 コアなファンばかりの、日本 . . . 本文を読む

書かれたものからの

2018年05月10日 | 日記
  書かれたものと、書きたいもの 言葉で書かれたものは弱い 多くの人々は人生そのものに向かう 人生はまず言葉よりも絶対的に強い(この世に絶対なものはない、という人にゴメン) 生々しく時に煮えたぎっている 色と匂いをたっぷりふくみ 熱狂する歓びや 嗚咽する悲嘆もあり 人生というものはなにしろ強い 書かれたものはしょせん書きものだ 文学も歴史も書きものだ あっ! 歌は . . . 本文を読む

原発ゴミの在りかを問いつづける

2018年05月07日 | エッセイ・コラム
   前回記事の続き 「フクシマとの細やかな繋がり」では、塙町の天然工房さんからの、鮫川村に建設された指定廃棄物(放射能汚染)のゴミ焼却炉にふれた。 環境省主導によるこの実験焼却炉の建設は、まず多数の地権者を抱き込み、当初から住民を無視して秘密裏に建設をすすめたとされるいわくつきのものだった。(※注) 福島県内の除染作業で伐採された草木、表土の枯れ葉、藁、その他の汚染さ . . . 本文を読む

フクシマとの細やかな繋がり

2018年05月05日 | 日記
  長いものには巻かれろつう諺があっけんど、あれは間違いだべよ。一度巻かれたらどんどん巻かれ、最後には首に巻かれて絞め殺される。    中村敦夫作:朗読劇「線量計が鳴る」から 昭和生まれの世代であったら「木枯し紋次郎」というTVドラマを見た方は多いであろう。時代劇はどうもね、という女性でも、長楊枝をくわえて「あっしには関わりねえことでござんす」とニヒルに吐き捨てる渡世者「紋次郎」の名 . . . 本文を読む