小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

フリーメイスンに関する極私的覚書(1)

2017年09月28日 | うんちく・小ネタ
     フリーメイスンといえば、秘密結社あるいは陰謀を企むユダヤ人組織などと、都市伝説の手垢にまみれた話が多い。中世ヨーロッパにおける石工職人たちのギルドを嚆矢とした秘密結社。と、世界史の教科書ではほんの一端が紹介されている。歴史書や小説、オカルトに近い類の読み物では、戦争やら革命のときに暗躍する秘密結社として、あるいは国家を揺るがす策略家・ユダヤ人がフリーメイスンの背後 . . . 本文を読む

北朝鮮の核2

2017年09月27日 | 国際・政治
  2005年5月に「北朝鮮の核」をブログに書いた。そのときから私の基本的な考え、自説に変更はない。徹底的に「シカト」することが最善。マトモでないものを相手にして、どうなるものでない、愚の骨頂だ。 世襲の元首による幼児的恣意、パフォーマンスは父親譲り。大国と同列であるという幻想をもち続ける、その実質である武力と、究極の「核」を対外的脅威として体制維持をはかる。国際政治的な力学としての . . . 本文を読む

田端、赤札仁王の顔

2017年09月23日 | 日記
  偶然だが、「顔」の続きになる。駒込の「百塔珈琲」をめざして散歩に出かけたが、途中で気が変わり田端方面に行く。 谷中七福神詣の起点(不忍池弁天堂からは終点)となる東覚寺前の前が、いつのまにか道路拡張工事したらしく様変わりしていた。 なんと「赤札仁王」の、その金剛力士像の「顔」を初めて拝めることができた。生まれて初めて見たので、ちょっと嬉しかった。道路工事のために寺の周りもすっ . . . 本文を読む

メッサーシュミットの顔、考えて見る

2017年09月20日 | 芸術(映画・写真等含)
   竹下節子さんのブログ『L'art de croire』では、このところ「ウィーンの話」が連載されていた。ウィーンといえばオーストリッチじゃない中島義道? いやいや、神聖ローマ帝国すなわちハプスブルグ家だ。スペインからポーランド、チェコあたりまで、ヨーロッパの何たるか知るには、パリでもローマでもないウィーンをめざしてこそ真正に至る? 有名な聖堂や教会の数々、国立図書館のフ . . . 本文を読む

信じること。束の間にみた哲学

2017年09月17日 | 日記
  人間の望ましい姿は、アリストテレスによると「理性的」ということであり、それが今日の、人間の不幸のもとになったらしい。 では、情動のおもむくまま生きることは幸せを呼ぶのか・・。そうは思わないのだ、私は。 中庸が至上とは言わないが、少なくとも「自覚的」でさえあれば艱難をやりすごし、辛苦を耐えうるのではないか。いわゆる「ネガティブ・ケイパビリティ」に寄り添うことができる気がする。 . . . 本文を読む

十日も早い彼岸花

2017年09月15日 | 日記
  散歩の途中で、谷中墓地の入り口の了ごん寺さんの境内を拝観した。白い彼岸花が美しく、もうピークを迎える頃だと思ったからだ。案の定、盛りは2,3日前に終えた感じだ。それでも鮮やかな紅白で、谷中墓地界隈ではここが一番ではないだろうか。住職が用事なのか出ていらしたので、ついでにお話しをさせていただく。今年は10日も早いという。台風が来るらしいから、お彼岸の日には散っていることだろうと、お優 . . . 本文を読む

崇める樹木がある悦び

2017年09月14日 | エッセイ・コラム
  渡辺京二の講演を元にした「近代の呪い」(平凡新書)を読んでいたら、眠っていた子が起こされるというか、ハッとする話があった。 幕末の頃、幕藩体制は崩壊の軋みをあちこちに見せ、ペリー来航の前後に多くの外国人が日本に来ていた。坂本竜馬と通じたグラバーは当時二十歳だったか。フリーメイスナリーだったことで、眉唾の都市伝説や様々な憶測が生れたが、そのことを語りたいのではない。 名も残さない . . . 本文を読む

手話とジェスチャー

2017年09月06日 | 日記
  手話を学ぶようになって、5か月目になった。なんとか落伍せずに付いていっている。週に1回、2時間のレッスンだが、生活のなかの習慣としてリズムになった気がする。 三歩進んで二歩後退だが、手話の楽しさも分かりはじめ、自然と身につきはじめた。今は、簡単な自己紹介ができ、同様に学び始めた仲間たちの手話も読み取ることができる。次の段階では、一日の出来事を普通に話せるように、手話のロングバージ . . . 本文を読む