小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一箱古本市を歩く

2019年04月29日 | まち歩き
  昨日の寒の戻りは、意外にもしつこかった。その反動か、今日はうって変わってのぽかぽか陽気。昼飯を食べて表に出たら、ゴールデンウィークと相まって、地元のどこの通りを歩いても多くの人出で賑わう。 楽しみにしていた、一箱古本市が立つ今日。昔ほどわくわくしないが、それでも一応覗いてみようという気になる。まずは近場の、「谷中特養」に設けられた一箱市をスタート地点にした。 今年で21回目を数 . . . 本文を読む

タブレット紛失in台湾

2019年04月27日 | 日記
遂にやらかした。6年も愛用していたタブレット端末を紛失した。以前スペインに行った時も、何度も置き忘れて紛失寸前の憂き目にあった。今回は、台湾の高雄に着いた初日に、その難局が現実のものとなってしまった。 我がタブレットは、スマホよりも一回りも大きい7インチ画面のサイズがあり、そこそこの重量感もある。持ち始めた当初、どこかに置き忘れることはあるまいと自認していた。しかし近頃、寄る年波に勝てず、無意識 . . . 本文を読む

眼衝くピンク球かな花つつじ

2019年04月18日 | まち歩き
ソメイヨシノもあっという間に盛りが過ぎた。そういえば花見らしいこともせず、ただ移ろい変化してゆく様を愉しんだ。 いま街なかを歩くと、濃いピンク色が目立つこんもりとした八重桜にお目にかかる。陽気も麗らかを越えて、やや暑さを感じるほどだ。根津のツツジ祭りも盛況らしいが、ゴールデンウィーク前の浮足立った雰囲気を感じるのはわたしだけではあるまい。 今日、川口松太郎の『愛染かつら』で有名な自性院の前を通 . . . 本文を読む

銀座にて、画廊めぐり

2019年04月13日 | 芸術(映画・写真等含)
時里二郎の詩集『石目』の装丁をした柄澤齊の個展が開かれているので、銀座に行ってきた。ついでにというわけではないが、建石修志の新作展も銀座の島田画廊でやっていたので合せて鑑賞した。 柄澤齊の作品世界および美術技法については、時里二郎のブログ『森のことば、ことばの森』に詳しく、詩論のように格調高い文章だ。是非ともそちらに・・。⇒https://loggia52.exblog.jp/2754 . . . 本文を読む

鼻をへし折られて

2019年04月11日 | 日記
今回は端的に書こう。前回、詩のようなものを書いた。可読性や抒情性はないものの、内心は自分ではよく書けたと思っていた。で、ある方のブログ経由でネットの詩のサイトを見つけて、ひそかに投稿してみた。 詳しくは省くが、誰もが評価してくれない0点だった。他の人が投稿した詩を読むと、まあ玉石混交だが、愚生の詩はちょっとはいけるんじゃないかと踏んでいたのだが・・。見事、詩の愛好者の方々から総スカンを喰った。誰 . . . 本文を読む

涅槃西風黄昏るる己かな  試詩8

2019年04月09日 | 
  世界のなかで最も利己的で、他者に対する関心がない民族は、無念にも日本人(※1) データは事実に則し、さもあらんと隠された相貌の極みを見せるから不思議 他人様の貧しさ、生きることの困難を感じとり、唾を呑みこむように腹におさめよ 追いつめられた人の能力を笑い、努力を怠ったと責任論でなじるのは浅ましい 結果に基づく解決策を、金持ちや優秀な人に託しても、確かな収束は覚束ない 潔さ . . . 本文を読む

己のナニかを破棄する

2019年04月08日 | 日記
社会人になって4,5年経った頃、愚生は、詩人にはなれないだろうと思った。身を切るような気づきがあったからで、自身を見極める為でもあった。 しかし、それでも詩を書く魅力に抗することができず、ひっそりと「詩みたいなもの」とか「ベタにならない詩」を時折書いている。並行して、優れた作品を読むことは、凡庸な「己」を破棄することにも繋がる、と思うようになった。この齢になって詩と正対し、我流だが読解し、かつ詩 . . . 本文を読む

ソメイヨシノが満開になった

2019年04月03日 | 日記
近隣にあるソメイヨシノが満開になった。昔、というか江戸時代では、桜といえば吉野桜であった。吉野に咲く桜が日本の代表であり、本居宣長はそれを自己と同一視して、自分の墓に植えさせた。 さて、歌舞伎の「義経千本桜」には桜など一本もでてこない。舞台の書き割りに描かれているだけで、だからこの千本は卒塔婆千本であろうと、どこぞの本で読んだことがある。梶井基次郎は、桜の樹の下には死体が埋まっていると云っていた . . . 本文を読む

西荻で、時里二郎に逢う(※)

2019年04月01日 | 
なんという僥倖、光栄に浴すことができたのか・・。今となってみれば、身のほど知らずと誹りを受けるやも知れぬ。まず、「そもそも」を書く。 詩人、時里二郎のブログ『森のことば、ことばの森』にめぐりあったこと、その因果あるいは経緯の記憶は定かではない。 ブログを辿って飛び込んできたのは、言葉ではなくむしろ、切りとられた美しい写真の数々だった。そのビジュアルの画質の高さは、もちろんスキルにもよる。しかし . . . 本文を読む