小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「遺言 原発さえなければ」を見て

2017年03月07日 | 芸術(映画・写真等含)

 

「遺言 原発さえなければ」というドキュメンタリー映画を3か月にかけて鑑賞した。地元で活動している小さな民間団体「月1原発映画祭」(※注1)が主催し、4時間近い長尺のため3回に分けて上映されたもの。福島県双葉郡浪江町をメインに、3.11以降2013年4月まで酪農家の人々に密着したドキュメンタリー映画である。

▲今週の土曜日、3.11から東中野ポレポレでアンコール上映されるとのこと。ダイジェスト予告編(4分)はここから 

 

映画を見た者として、その概要を記すべく私なりの必要性を感じた。3.11、福島原発の衝撃・記憶がなんとなく希薄になっている今、印象の強く残ったところを簡潔に記したいのだが、どうか・・。

あれから6年が経ち、復興はいまだ途上にある。政府と東電側としては「被爆と除染はほぼ終息した」とふれこみたいのだろう。が、フクシマの現実は、そんな安直な目論見に微塵も左右されない。

フクシマの原発は、四つの「生」を根底から喪失させた、という言説がある。まず「生業(なりわい)」と「生活」を。次に「生命」そして「生態」までも破壊した、と。

この映画は四つの「生」の喪失とプロセスをリアルに映し出し、また喪失の無念さの象徴化にも成功している。


映画の取材クルー(二人の監督)は、最初から浪江や飯館の酪農農家に向かったのではなかった。避難地域をいろいろと取材したら、偶然にもそこに、残留している人たちがいた、たぶん。そう、動機はシンプルで、カメラを向けても酪農の人達は拒否しなかった。積極的にとまでは言えないが、フクシマの酪農の現実を朴訥として語る被害者が、そこの「場」にいたのだ。

何故なのか、彼らは牛を連れて避難できなかった。ただ、誰もいなくなったその「場」に立ちすくみ、どうすればいいのか途方にくれていたのだ、乳牛たちと伴に。

自分たちの命を優先させて、牛たちを置き去りにしてまで逃げることができなかった人々。凄い被曝量で立入り禁止となった警戒区域に居残り、乳牛や他の動物たちのために生活し続けた強者もいた。(この人は全世界からも注目。海外のメディアにも登場したが、国内での紹介は無に等しい)(※注2)


現代の酪農農家という業態を、私は、効率と生産性を優先させたドラスティックでスマートな方法をイメージしていた。予想はおおきく外れた。実際はやはり、愛情を注げば情は湧く、人間と動物との根源的な交情があるのだ。生きる糧を一緒になって生産する、そんな仲間意識を人と牛がもっている。まさかと思うが、そんな強いきずなを感じる見方もできたのである。

もう少し具体的に述べよう。ペットを溺愛する飼い主がよくテレビに登場するが、酪農家である彼らはそんな家族愛べったりな関係をもたない。かといって、家畜を飼育するだけの、人間と動物の一方向の関係ではない。生活を共にし、共に助け合う、そして生産する歓びさえ分かち合う、そんな親密性が感じられる。

人間も動物も共生する、自然の親密な「場」に組み込まれている。そんな関係性と言ってもいい、そういう風に感じられ、考えられたのだ。

 

牛一頭それぞれの個性、特長を見つめ、慈しみながら乳牛たちを飼育してきた・・・。そして、仕方なく殺処分への途を選択する時の、人間たちの眼差し。知ってか知らずか、何の疑いもない健気な乳牛たちの眼(まなこ)。それから、地域の「生」の「場」から牛たちが消えていき、坂を転げ落ちるように酪農家たちの「生」と「場」の崩壊が進むのである。

そうした酪農家の「生」そのものが、あっという間に寸断され、圧殺されていく経過をリアルに記録した映画。それが「遺言 原発さえなければ」である。

▲白いチョークで「原発さえなければ」と書き遺し、自死した酪農家の小屋。遺言が細かく書き連ねてあり痛々しい。先日、ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチのBSドキュメントでも紹介されていた。

映画のタイトルが示すとおり、生業を断たれ生活が立ちゆかなくなると、生命の基を自ら断つ人がでてきた。遺言を残した熟練の酪農家はじめ、復興に心血を注いだ子供のいる若い夫婦たち、さらに百歳を超えるご長寿さえも足手纏いになりたくないと自死を選んだ。その方たちの遺族・関係者にも、いわば遠慮なくごく普通に監督たちは取材しカメラを向けた。土足でプライベートの領域に分け入ったのではない。毎日共に生活してきた仲間として、或る日常を記録したにすぎない。

地元以外の酪農家に避難した先でも、或いは籠城するが如くに乳牛を養う孤高の酪農家にも、監督たちは自らの生と存在をむき出しにして密着取材した。だからこそ、禁忌ともいえる哀しさの極限の現実を映像化できたともいえる。そして、取材される側の家族皆さんにしても、フクシマの過酷な現実をもっと、日本の多くの人々に知ってもらいたいという願いがあったと思われる。


この長期間にわたって制作された貴重なドキュメンタリー映画は、二人のフォト・ジャーナリスト・豊田直巳と野田雅也の賜物である。3年前に公開されたものだから、見た方もたくさんいらっしゃるであろう。通しで見れば3時間45分だが、3年間にもおよぶ250時間の映像を編集したものだ。私は3回に分けたものを見たのだが、カットの妙というかテンポよく見ることができた。映画は絶望で終わらないし、「生」がもつ希望の彼方も暗示させたと思う。

 

最初の上映時には、豊田直巳監督が来訪。2回目に野田雅也がゲストで来場し、私たちに直に撮影状況やフクシマの現実をトークしていただいた。特に、岩波のブックレット「劣化ウラン弾」で写真ジャーナリスト豊田直巳の存在と仕事を見知っていたので、映画を鑑賞するにあたり興味はさらに募ったことを付記しておく。また、3回目のゲストトークについてはある種の事件的な遭遇があった。機会があればふれたいのだが・・。

 

    

▲第1回目に豊田直巳監督(左)、2回目に野田雅也監督がゲストとして来場。撮影当時の苦労話やフクシマの現状を語っていただいた。お二人ともアクチュアルな社会派カメラマン出身だ。


(※注1)「月1・原発映画映画祭」台東区の「谷中の家」をメイン会場として月に1回、福島・原発関連の映画祭とトークショーを開催。50以上もの開催実績がある。⇒ホームページはこちらからhttp://www.jtgt.info/?q=taxonomy/term/1

(※注2)松村直登さんである。当時、ビデオニュースにも頻繁に報告してくれた藍原寛子さんの二人が谷中の会に来場し対談されていた。面白く必見です!⇒ http://www.jtgt.info/?q=node/544  

 






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