和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心34/小説「新・人間革命」

2015年06月08日 07時24分56秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月8日(月)より転載】

【革心34】


 午後六時半過ぎ、山本伸一たちが乗った列車は、南京に到着した。

 南京駅では、何人もの江蘇省の関係者が、温かい笑顔で迎えてくれた。

 南京は、江蘇省の省都で、古代から都となり、中華民国が成立した時には、臨時政府が置かれ、国民政府の首都にもなった。

 一九三七年(昭和十二年)には、日中戦争で日本軍が侵攻し、大きな惨禍を刻む歴史の舞台となったのである。

 伸一は、ここで多くの尊い命が奪われたことを思うと、激しく胸が痛んだ。

 この夜、南京飯店で行われた歓迎宴で、彼は、日中戦争の時代に、ここ南京は大きな被害を受け、たくさんの中国人民が犠牲になったことを述べたあと、こう語っていった。

 「創価学会は、平和と文化の推進を目的とする民衆の団体であり、暴虐なる軍国主義権力の弾圧によって、牧口初代会長は獄死し、二代の戸田前会長も二年間、獄に囚われ、迫害を受けてきました。軍国主義は、貴国の人民に多大な犠牲をもたらすとともに、われわれも、その横暴なる力によって弾圧されてきた歴史をもっています。

 私は、だからこそ、“二度と、こうした軍国主義の蹂躙を許してはならない。人類の永遠の平和を築くのだ”との信念から、日中の平和と友好のために挺身してきました。

 私どもは、日中戦争の犠牲者に、心から哀悼を捧げるとともに、悲惨ななかから立ち上がって、すばらしい都市建設を成し遂げた南京の姿を、日本に伝えてまいります」

 彼は、「日中平和友好条約」が結ばれる今、中国を訪問し、日中戦争の最も悲惨な歴史が刻印され南京の地に立ったことに、深い意義を感じていた。

 “これから、日中の平和の行進が始まる。南京を、その新出発の起点とするのだ。

 戦争の凄惨な歴史を刻んだ地なればこそ、平和と友好の一大拠点としていかねばならない。過去を直視し、未来建設の力としていくーーそこに、今を生きる人間の使命がある”                          






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