和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心15/小説「新・人間革命」

2015年05月16日 07時02分36秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月16日(土)より転載】

【革心15】


 日本の中華民国政府の対する二十一カ条要求がほぼ認められてしまったことは、中国の人びとにとって、最大の恥辱であった。反日愛国運動の火は、中国全土に広がっていった。いわゆる「五・四運動」である。

 また、日本は、この前年の一九一八年(大正七年)、米英仏などとともに、ロシア革命への干渉のため、シベリアに出兵。ほかの国々が撤退したあとも駐留し続けていた。

 こうした日本の大陸進出が、中国の不安と脅威を駆り立てたことはいうまでもない。

 一九年(同八年)十月、孫文は、民族主義、民権主義、民生主義の「三民主義」を政網に掲げて中国国民党を結成し、党首となった。

 民族主義は、国内諸民族の平等と他国の圧迫からの独立をめざすものだ。民権主義は、主権在民を説くものであり、民生主義は、経済的な不平等の是正を目的として、社会的平等を実現しようというものであった。

 孫文の理想は遠大であり、どんな困難にも、どんな裏切りにも屈しなかった。固く、強い、鉄の信念があったのである。

 彼は高らかに訴える。

 「わが心が、これは行ないうると信ずれば、山を移し海を埋めるような難事でも、ついには成功の日を迎える。わが心が、これは行ないえぬと信ずれば、掌をかえし枝を折るような容易なことでも、成功の時は来ない」(注)

 大望の成就は、自身を信じて、必ず成し遂げると、心を定めることにある。

 二一年(同十年)には、上海で中国共産党が創立される。

 孫文は、ソ連との友好、提携を深めるなかで、二四年(同十三年)、軍閥、帝国主義を打倒するため、中国国民党を再編成して、中国共産党との国共合作に踏み切る。そして、この年十一月、北京に向かう途次、日本を訪れ、兵庫の県立神戸高等女学校で講演する。

 --日本は、西方覇道の手先となるのか、東方王道の守護者となるのか、と。

 渾身の力を振り絞るようにして、欧米列強の帝国主義に追随する日本を諌めたのだ。




■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「心理建設」(『孫文選集 第2巻』所収)伊藤秀一訳、社会思想社
※ 主な参考文献
 鈴江言一著『孫文伝』岩波書店
 藤井昇三著『孫文の研究』勁草書房
 『世界の名著64 孫文 毛沢東』小野川秀美・責任編集 中央公論社




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