和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心9/小説「新・人間革命」

2015年05月09日 07時03分50秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月9日(土)より転載】



【革心9】


 今回の中国訪問には、創価学会側の通訳として周志英も参加していた。

 彼は香港生まれで、創価大学の大学院生(博士前期課程)であった。

 一九七四年(昭和四十九年)一月、山本伸一は、香港を訪問した折、香港大学や香港中文大学などでの広東語の通訳として、当時、大学一年生の彼を起用した。

 まだ日本語にもたどたどしさがあり、決して上手な通訳とはいえなかった。しかし、さまざまな通訳の体験を重ねることで、一流の通訳に育ってほしいと、伸一は願望し、期待していたのだ。

 人類の平和と繁栄を願い、世界の指導者との対話を進めるには、各国語の優れた通訳が必要である。ましてや伸一の場合、仏法について論じることが多いため、通訳には、仏法用語等の正しく深い理解が求められる。未来を展望する時、それらを習得し、伸一の心を相手に伝えることができる通訳の育成が、極めて重要なテーマであったのである。                      

 七四年の香港訪問の時、彼は周志英に、今度、中国に行くので、そこでも通訳をするように言った。周は恐縮しながら、香港では広東語を使うが、中国は北京語であり、発音が全く異なるので通訳はできないと語った。

 もちろん、伸一は、よくわかっていた。

 「残念だな……。中国では、国家の指導者とも会見することになる。君が通訳をしてくれれば、安心なんだがな。いつかやってよ」

 その言葉が、周の胸を射貫いた。彼は日本に戻ると、北京語の猛勉強を開始した。

 上達は目覚ましかった。創価大学での初の中国語弁論大会では、「特別賞」に輝いた。創価大学が中国政府派遣の留学生を受け入れると、習い覚えた北京語を駆使して、コミュニケーションを図った。

 そして、この第四次訪中には、北京語の通訳として参加し、奮闘していたのだ。

 使命を自覚し志という種子を胸中にもってこそ向学心は燃え、才能の芽は急速に育ち、開花する。志のある人は強い。




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


最新の画像もっと見る

コメントを投稿