和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将43/小説「新 ・人間革命」

2013年04月03日 08時19分10秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月3日(水)より転載】



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勇将43(4/3)

 高松講堂の建設予定地を視察した山本伸一は、高松市円座町にある溝渕義弘・静恵夫妻の自宅を訪問した。

竹垣の塀のある立派な家であった。
夫は開業医で四国ドクター部長、香川県壮年部長に就いており、妻は婦人部の四国副指導長、香川県総合婦人部長をしていた。


 溝渕の家では、義弘が一九六四年(昭和三十九年)三月、最初に入会した。

 人の良い彼は、友人に頼まれて、裏判を押した手形が不渡りとなり、巨額の負債を背負ってしまった。
人間不信に陥り、債権者への応対に悩むなかで、不眠が始まり、強度のノイローゼになってしまったのである。


 医師であるにもかかわらず、自分の不眠症さえ治せないことが、さらに彼を苛んだ。
その思いを知人に打ち明けると、仏法の話を聞かされた。
知人は学会員であった。
翌日には地区部長を紹介された。
地区部長は、御書を開き、医師の彼に、仏法に説かれた病の起こる原因について滔々と語った。圧倒された。


 「医学で解決できない病を乗り越える道を説いているのが、この仏法なんです!」


 その確信に打たれ、義弘は入会を決意した。

 御本尊を安置する時、数人の学会員が自宅に来て祝福してくれた。
妻の静恵は、どういう人たちなのかも、なぜ夫のところへ来たのかもわからなかったが、その身なりに眉をひそめた。
衣服は質素極まりなく、靴も履き古されたものであったからだ。
あまり関わりたくないと思い、お茶を出すこともしなかった。


 義弘は、この日、真剣に勤行し、しっかり唱題して床に入った。
すぐに深い眠りに就いた。
二年ぶりにぐっすりと眠ることができた。
爽快な朝を迎えた。



 千の理論より一つの実証である。
この体験が、彼を信仰に目覚めさせた。 
静恵は、医院の看護婦長に、「院長先生は、昨日、何かあったんですか。
体調が良さそうなんです」と言われた。
しかし、静恵には、そのわけは全くわからなかった。
別の部屋で寝ているために、夫が熟睡できたことを知らなかったのである。



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