和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将55/小説「新 ・人間革命」

2013年04月18日 08時27分11秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月18日(木)より転載】

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勇将55(4/18)

 有田幸二郎は、普通の食事ができるようになった――その功徳の実感を、本人も、妻の信子も、人に語らずにはいられなかった。

 難しい理屈は何もわからなかった。ただ、「この南無妙法蓮華経の御本尊さん、拝まなあきまへんで!」と言って歩いた。

 弘教の闘士が誕生したのだ。

 功徳の体験から生まれる歓喜こそ、広宣流布の無限の活力となる。

 二人は、家に来る人や近所の人に、日蓮大聖人の仏法の力を訴えていった。
バスに乗っても、友人や知人の姿を見ると、すぐに仏法対話になった。入会五日目には、六世帯の人が題目を唱え始めた。

 ほどなく二人は班長と班担当員の任命を受けた。幸二郎の胃潰瘍は克服できたが、まだ神経痛は治ってはいない。
医師もサジを投げた原因不明の病である。しかし、夫妻には、これも完治できるという確信があった。

 有田夫妻の班員は、奈良県の全域に散在していた。彼らが班長・班担当員になった年の暮れ、宇陀郡の榛原で座談会が開かれることになった。
この日、雪がちらつき、幸二郎は神経痛で起き上がることもできなかった。座談会には、たくさんの友人が出席を約束しているという。彼は決めた。

 “班長の自分が行かなければ、座談会は始まらない! 這ってでも行こう!”

 断じて使命に生き抜こうとする一念が、人間を強くする。他者のために、何かをなそうとする時、生命の底から、滾々と力が湧き出るのだ。

 幸二郎は、妻の信子と学会員の壮年に支えてもらい、雪の中を歩き始めた。一歩足を踏み出すたびに、苦痛で顔が歪み、額に脂汗が滲んだ。
汽車、そして電車を乗り継ぎ、歯を食いしばりながら座談会場をめざした。

 ようやく榛原の会場にたどり着いた。学会員数人と、二十四、五人の友人で、部屋はいっぱいだった。
健気な同志たちは、雪の中、有田夫妻が来てくれたことに対して、涙を流さんばかりに喜び、拍手で迎えてくれた。


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 「和井弘希の文芸政談」に掲載した俳句集
 http://u-736632kazui.hatenadiary.com/


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