和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将57/小説「新 ・人間革命」

2013年04月20日 08時25分30秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月20日(土)より転載】

http://www.seikyoonline.jp/index.html

o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪


勇将57(4/20)

 有田幸二郎は、座談会場で横たわり、妻の信子の話を聞いていた。

 “本来ならば、班長として、自分が先頭に立って訴えなければならないのだ”と思うと、不甲斐なかった。歯ぎしりする思いであった。彼は、深く心に誓った。

 “きっと、この病を治し、長生きしてみせる。その時、誰もが仏法の力に驚くだろう。それが、私の折伏だ!”

 信子は、座談会に集った友人たちに、力強く語っていった。

 「仏法では、病がある人は仏になれると説いているんです。日蓮大聖人が『病によりて道心はをこり候なり』(御書一四八〇頁)と仰せのように、病を契機として、真剣に信心に励もうとするからです。

 病気に限らず、経済苦や家庭不和など、すべてを乗り越えて、幸せになれると約束しているのが、大聖人の仏法なんです。

 皆さんも、一緒に信心をしましょうよ!」

 彼女の、率直な、ありのままの訴えは、参加者の胸に強く響いた。結局、二十四、五人の友人のうち、五、六人が入会の決意を固めたのである。

 有田夫妻は、弘教に行き詰まると、大阪の関西本部まで行き、幹部に指導を受けた。信心は、我見で推し量るのではなく、どこまでも真っすぐに、純粋に貫こうと、決意していたのだ。

 入会翌年の一九五六年(昭和三十一年)一月から、大阪で会長・戸田城聖の「方便品・寿量品」講義や御書講義、指導会などが開催されるようになると、二人は、喜び勇んで大阪に通った。
さらに、青年部の室長である山本伸一が指揮を執った“大阪の戦い”の時には、定期券を購入して、毎日のように関西本部を訪れた。いつか、幸二郎の神経痛も起こらなくなっていた。

 求道の人には、歓喜がある。歓喜ある人には、苦悩を克服する勢いがある。

 五六年(同)八月、奈良地区が誕生した。地区部長、地区担当員は、有田夫妻であった。


o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪


 「和井弘希の文芸政談」に掲載した俳句集
 http://u-736632kazui.hatenadiary.com/


最新の画像もっと見る

コメントを投稿