和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将29・小説「新 ・人間革命」

2013年03月18日 11時27分30秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)3月18日(月)より転載】



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勇将29(3/18)

 長野栄太は、総ブロックの壮年一人ひとりと会っていこうと決意はしたものの、職場の当直が月に八回もあった。また、幹部会や座談会など学会の会合もある。回れる日は限られたが、時間を工夫しては、大ブロック長と共に激励に歩いた。

 家を訪ねても、未活動の壮年の場合、信心に励んでいる夫人が、“夫を会わせてよいものか”と、躊躇してしまうこともあった。“夫が機嫌を損ねてしまったり、怒りだしたりしないか”と、心配していたのだ。そんな時には、「ご主人に不快な思いをさせ、怒らせるようなことはしませんから」と、夫人を説得することから始めなければならなかった。

 壮年と会い、懇談を重ねるなかで、会合に参加し、勤行する人が次第に増えていった。

 また、長野が経験したことのない悩み事に出合うこともあった。そのなかには、「思春期に入った子どものことで悩んでいる」という相談もあった。長野の子どもは、上の子がまだ小学一年生である。思春期の子どものことは、よくわからなかった。そうした時には、同様の悩みを克服した体験をもつ人に、会ってもらうようにした。

 彼は、“和楽の家庭を、幸せな一家を築いてもらいたい”との思いで、どこまでも誠実に、足しげく通い、メンバーと会っていった。

 明るい笑顔の、幸せな家庭を築くことは、近隣、地域への、信心の実証となる。それは、地域広布の光となっていく。

 長野自身、仕事でも、さまざまな課題が山積していた。身も心も、へとへとに疲れ果ててしまうこともあった。しかし、“自分が歓喜していなくて、どうして人を燃え上がらせることができるのだ!”と、自らに言い聞かせ、真剣に唱題しては同志の激励に回った。

 その成果が着実に実り始めた一九七七年(昭和五十二年)の年末、彼の総ブロックのなかに、四国研修道場がオープンしたのだ。

 そして、その喜びが冷めやらぬなか、年が明けると、広布第二章の「支部制」が発表されたのである。

   
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