和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

四月馬鹿/今日の俳句≪No.1538  

2014年04月01日 06時38分17秒 | 今日の俳句


     ☆四月馬鹿/今日の俳句☆  

☆★☆*≪No.1538≫☆彡★……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
 2014年(平成26年)4月1日(火)


◇エイプリルフール,万愚節
 罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。
その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされている。
また、インドでは悟りの修行は春分の日から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。

○売春防止法施行記念日
 1957年のこの日、「売春防止法」が完全施行された。この前日までに、売春が行われていた「赤線」の店は一斉に廃業した。



※三鬼忌,西東忌
 新興俳句運動の旗手・西東三鬼[さいとうさんき]の1962年の忌日。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  ばね指のテープを切らす四月馬鹿
       安永圭子



  四月馬鹿転勤辞令の軽さかな
       北村春美



  四月馬鹿煙草の軽さのみを売り
       三宅隆



※<ひつ込まぬびつくり箱や万愚節 北野平八>
プレゼントにもらった箱を楽しみに開けた途端に、何やらヒュルルッと飛び出してきた。びっくり、した。そういえば「今日はエイプリル・フールズ・デイであったわい」と、かつがれたことに苦笑する。
ところが、飛び出してきた物を箱にしまおうとするのだが、どういう仕掛けになっているのか、元の箱におさまらない。いろいろやってみるのだが、どうしても元どおりにならない。
そのうちに、大の男がびっくり箱と一心不乱に苦闘している滑稽さにふと気づき、再び苦笑したところでこの句が生まれた。いつまでも子供の一面を持つ男という生物の様子に、私もまた苦笑しつつも共感を覚えた次第である。『北野平八句集』所収。
(清水哲男)

※<部屋ごとに時の違へる万愚節 金久美智子>
万愚節(ばんぐせつ)、四月馬鹿、エイプリールフール。といっても、実際に他愛ない嘘をわざわざこの日のために用意している人は、少なくともわたしのまわりにはいない。
起源はヨーロッパとも、インドともいわれるが、日本では「嘘」や「馬鹿」など、マイナスイメージの言葉を使っているせいか、いまひとつ浸透していない祭事のひとつだろう。
しかし、俳句になるとその文字が持つ捨てがたい俳味が際立つ。身の回りの「愚かであること」はたやすく発見できるものだが、それは排除につながらず、どこか愛おしくなるようなものが多い。
掲句は時計が時計の役目を果たしていないという現実である。しかし、そこには時を刻むことが唯一の使命のはずの時計に、それぞれ進み癖やら遅れ癖を持っているという人間臭さを愛おしむ視線がある。
さらには「リビングは少し早めに行動したいから5分進めて」「寝室のはぴったり合わせて」という人為的な行為と相まって、ますます時計は時計の本意から外れていく。
結局テレビに表示される時計を見るだけのために、テレビを付けたりしているのである。それにしても現代の家電にはあらゆるものに時計が付いている。微妙に狂った時計たちが休むことなくせっせと時を刻んでいるのかと思うと、ちょっと切ない。「続氷室歳時記」(2007・邑書林)所載。
(土肥あき子)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)4月1日(火)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 新生の4月が到来!
 大いなる飛躍へ
 わが目標を定めよ!
 みずみずしい生命で
 日々、黄金の歴史を!

     4月1日




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   ■※名字の言※■


(4/1)
友人の教育関係者に勧められて大阪府内の「夜間中学校」を訪れた。就学年齢の時に、戦争や貧困など、さまざまな事情で勉強できなかった人に、義務教育を保障するためにできた学校だ。全国に35校、大阪には11校ある



訪れた学校では、125人が7クラスに分かれ、国語や社会や理科を学んでいた。文字の読み書きは苦手だが、人生経験豊かな「生徒」さんたち。地元の歴史や地理は、「先生」より詳しく、どちらが先生か分からないことも、しばしばあった



振り仮名を振った手作りプリントで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を学ぶ。私語・しわぶき一つない国語の授業。「学ぶことの原点」を見た思いがした。アフガニスタンやパキスタンなどの教育関係者が見学に訪れる。識字について、ユネスコとの意見交換も行う。世界にもつながっている



感動を、なにげなく教育本部のメンバーに伝えてみて、驚いた。「実は私も、母があまり字の読み書きができず、手紙や、学校から保護者への案内を読んであげていたんです」と。聖教新聞を書き写して、文字を覚える母の姿に触れ、教師になることを決意したという



創価学会は「校舎なき総合大学」。そこで晴れやかに学ぶ庶民こそ、われらの誇りであり模範である。  (哉)



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3月31日(月)のつぶやき

2014年04月01日 01時43分48秒 | 今日の俳句